仕事にまったく精が出ない話

いつも大変お世話になっております。

わたくし、平日はパートに出ているんですけれど、まったくやる気が出ません。
出るわけがありません。
なんで出さないといけないんですか。人間としての最低限しかもらってないのに。

どれぐらいやる気がないかを説明いたしますと、もうまゆげを描くことすらやめて、完全なるノーメイクで接客業に臨んでおります。

だってね、言いますけど、仕事に「まゆげ」要ります?

いらなくないですか? まゆげ。

業務上、役立ちます? まゆげ。

まゆげ描くペン代も出したくないようなお給金で、別に描きたくもないまゆげ、描かないです。私は。

最低賃金で人を雇うってのは、要は無課金ユーザーなんですよ、弊社は。
会社が私に課金すればするほど、ちゃんとします。
課金しないなら、無料なりのサービスしかありません。 マッパです。
とてもシンプルかつ、当たり前の話です。

たまに「最低賃金であっても、もらってるんだからちゃんとしろ」みたいなこというやつ、おりますよね。

いやいやいや、なんですよ。
これ割ったら法律上ダメなんですから、最低賃金ライン=ゼロ地点なんですよ。
弊社はパート社員に対して無課金です。

まゆげは、私んとこは有料オプションなので。
お試しサービス期間は終了です。

無料サービスがしたいなら、したい人だけがすればよいのです。
他人に押し付けてはいけません。
私は、しません。一般水準の努力をしたところで、それに見合ったうまみが会社から返ってくることは永遠にない事を理解したので。

そのかわり気楽にやっていますよ。
それがここで働く最大のメリットであり、理由です。
なので変に給料あげられても困るっちゃ困りますね。

もしこれで「言うこと聞け!」って言われたら、よそへ行くさあ。

なんかですよ、「大人としての責任ある行動」のうち多くのことを、私は切り捨てているんですよね。
たとえば、子供もいないし、家事もろくにしないし、保険とかにも入っていないし、子供もいないのに短時間パートしかしないし、その仕事もサボりサボりやっているし、近所付き合いもしないし。
いわゆるちゃんとした大人がやっているであろう多くのことを、やらない選択をしてるんです。

自分のキャパシティを考慮して、選ぶべき努力の手段の方向性や今後の人生を考えて、心身が健康でいられるラインも探って、いろいろ取捨選択したら、現在地点ではこうなったというところです。

この「努力の手段を取捨選択する」というのを、「努力や思考を放棄している」という捉え方で会話を進める「ごくごく一部のちゃんとした大人さん」というタイプが、たまにいらっしゃるんですよね。

これは人生設計の話に限らず、創作活動との向き合い方とかの話でもそうです。

努力の手段というのは、ひとによって向き・不向きがまったく違います。
ですから、「人の話は参考であって、なによりも自分自身とよくよく相談して決める」が大事なのであって「こう在るのが正解」という答えはないはずです。
そのはずなのですが、「ごくごく一部のちゃんとした大人さん」は、ご自身が「これが努力だ」と思う手段をとらない人や自分のやり方に賛同しない人を、自分のやり方に無理から矯正させようとしてみたり、なびかなかったら否定してみたり馬鹿にしてみたり、どうしてもそうしないと気がすまないみたい。

昔ながらの、一般的とされる人生設計もそのための努力もとても素敵で、それを選んだ方のことは大好き。
そして、自分にそのやり方がうまくかみ合わない場合は、私はその選択はとらない。
ただそれだけであって、ほとんどの人がそうとわかってくれているのに、そういった「ごくごく一部のちゃんとした大人さん」方にはわかっていただけないと言うか、「下のランクの人間(ひどい場合は人間扱いですらない)」と認定されてしまいますね。

その人と同じ考え方・同じやり方をしないというだけで、どうして、人格や人間性まで嘲笑・否定されてしまわなきゃいけないんだろう?

それも1人や2人じゃなくて、けっこう、オンライン・オフライン合わせたら10人ぐらい出会ったことがあります。
そのうち、流しても流しても相当しつこかったのが、3人くらい。。。

それで考えを変えるほど薄っぺらい思いで今の人生を選んだわけではないので、なんか言われたところで影響を受けるわけではないんですが、気分はあんまりよくないですよねえ。

そういう人に限ってなぜかやたらと足繁くお越しになるの。
それで、興味のふりしてあれこれ聞き出して、陰口の材料仕入れて帰っていくの。
陰に持ち帰らず直接覆いかぶさってくるタイプの人は「私は陰口言わない!」を誇りにしていて、人を傷つけることに対しては何も思わないみたい。

最近やっと、そういう人選り分けられるようになってきたから、必要に応じてお口チャックできるようになってきた。

下を設定することで優越感みたいなものを感じて、気持ちがいいのかなあ。
だから下ランク認定した者につきまとうのかなあ。

「ごくごく一部のちゃんとした大人さん」がそうやって押し付け芸をやるせいで、どっからどう見ても「人それぞれ」をちゃんと考えてる人が自分の好きなものの話するときに、わざわざ入れなくてもいい注釈入れなきゃいけなくなるんですよ。
「あくまでも私個人だけに当てはまることですからね、みんながそうであれとは思ってないからね」って。

接客も、楽じゃないのよ。
いろんな方がお越しになります。

給料あげんかいオブ・ザ・イヤーやで。

お疲れさまです。