「アップルジュースの歌」という歌を作ってから、かれこれ18年くらい経ちます。
最初は「境界」というタイトルでした。
私は昔から、歌をつくるときには曲と歌詞を同時進行で作ります。
ここでいう「曲」とは、メロディとコードを指します。
個人的に大事にしたいのは歌詞の語感とメロディの合致感で、口ずさんで気持ちいいものを作れたらいいなと思っています。
ところで、私は歌詞をつくるとき、自分を歌うときと、登場人物を出して客観のていで歌うときがあります。
自分を歌っている曲は少なくて、だいたい、私ではない「僕」という登場人物の視点から見た「あの子」という存在を歌っていることが多いです。
これはあらゆる曲に共通の登場人物であり、キノコファクトリーの楽曲の根幹をなす関係性のふたりと言えます。
なぜこういうスタイルかというと、私は大変ひょうきんなキャラクターなので、自分を歌うっていう体だといまいち説得力に欠けるというか、「いや君ニッコニコやないか」みたいなことになっちゃうんですよね。
なので、物語調というか、私ではない人物を登場させて私は代理で歌うことが多いのです。
私本人は絵にならないシケた人間で、自分自身を作品にすることなど、とても出来る有様ではありません。
ただ、私の夢想する世界というものがあって、そこに彼らはいます。
それは私がこれまで生きてきた中で感じたことなどを、自分の中で何度も何度も反芻しているうちに作り上げられた空想ですが、私本人よりは、うつくしい。
自分が感じた軋轢ややるせなさを、自分語りっていう体で表現するのが、できなかったんですよね。
ものすごく自分のことが嫌いだったものですから。
「私ではうつくしくない」という思いが強かった。
私みたいなもんがこんな真面目くさったことを考えてるなんて、バレたら、絶対にだめだ。という考え。
だから、完全に作品と自分をわけないと、ものづくりが出来ない状態でした。
う〜〜ん、ピエロタイプ。
今はだいぶ、自分が統一されてきてるかなあと思います。
昔本当に、だめだった。
自分がいる場で、まじめに描いた絵とか曲とか鑑賞されるのが、ほんとうに無理で。
「それを描いた・作ったのが私」というのがバレたら、すべてのバランスが崩れてこの世が終わるかのような恐怖感があった。
いまはもう、ケロリ。
よかったら、聴いてみてください。
アップルジュースの歌という曲です。