これ以上ツイッターで熱たっぷりに喋るとうざすぎてフォロー解除されそうだからブログに来た

私の周り、すごくすてきなアーティストさんが多いんですよ。

定期的にテンション上がってるんですけど。

いやでもツイッターから離れて紹介すると通知が行かないから、あと私の拡散力ぜんぜんなので、ここはいったん冷静になってここには貼らないことにしますけど、でも、すっごいいい絵を描く人とか、すてきな歌を歌う人とか、すばらしい文章を書く人とか、いっぱいいるんですよ。

私はツイッターに関してはどちらかというと発信がメインで、読む方はあんまり頻繁ではないので、「あ、私のは響かないんだ……」って思われたら悲しいのであんまり拡散とかに積極的ではなかったんですけれど、最近はもう、あんまりそういうのぐるぐる考えるのやめよう! と思って、見たときに「これはいいぞ〜!!!」というのがあったら遠慮なく拡散させていただいています。

すっごい最近のツイートだけすい〜って見る、というタイプで、すごく見落とす人間なので、できれば、いいものはめっちゃしつこく自己RTしていただけたら助かるんですよね。

なんかね、「批判・否定の文化があったほうがいい」というの、それはまあ、間違いではないと思うんですけど、ちょっとだけ、「いやさすがに批評になってない批評が気安く蔓延しすぎやろ」って思ってるんですね。

言いたいだけ野郎が好き放題やりすぎっていうか。

その作品のいいところを見つける審美眼と、褒める語彙力を、持ってないだけなんじゃないの? こういうのけなしといたらカッコいい、って思ってない??? みたいな。

というか、レビューするときに強調するのは「レビュー対象がどうであるか」であって、てめえの審美眼をアピールする場ではねぇんだよーーーーーーー!!!!!

って。思っているんです。気安い批評文みると、ちょくちょく。

ほんで、自分の批評文が批評されることには、すげえセンシティブな感情見せてきたりするじゃないですか。
まるで「自分だけは、批評されるような立場には無いので……」みたいな。

まてと。

せめて、批評した以上は、その批評文を批評される覚悟は持てよと。

というか「作品」を批評するその文章は、等しく「作品」であれよと。

ただ言いたいだけなら、大学ノートにでも書いて部屋に積んどけよと。

見せたいんやったら、見せるべきものとして仕上げろと。
それが、人の作ったもんに文句言う時にとるべき責任とちゃうんかい、と。

ろくに推敲すらされてない、「俺の審美眼を認めろ!」感丸出しの、そもそも読み物としておもしろくない批評文は、私は要りませんね。
私にとっては不愉快なだけなので私には要りません。
Twitterなどのちょっとしたぼやきは別ですよ。ただ「これは批評だ」と言って出しているなら、いりません。

それよりは、すばらしい作品を広めることのほうが業界の発展につながると思いますし、すてきだ!!! と思ったものをいかにすてきなのか伝えるためにあれこれ思案して表現するほうが、よっぽどレビュー文として豊かだと思いますね。

ディスってても見てて小気味良いと言うか「そこまで言うなら逆に見てみよかな」みたいな気持ちの良い批判ってあるじゃないですか。
あれが、批判のあるべき姿だと思うんですよ。

・読み物として面白い
・作品は否定しても、関わった人の人格そのものは否定・矮小化していない
・批判を批判される覚悟を持っている
・非難されたからって後付の理由つけて「あいつは●●だから俺の言ってることはわかんないんですよ(笑)」みたいな言い訳をしない

ぐらいの気概はほしいですね、人が一生懸命つくったものを批判するなら。

「作品を批判するのにそんなに気を遣わないといけないのか」って?

そうです。気を遣うべきだと私は思います。

あなた、通りすがりの知らない人とかに「あんたダサい。シャツを変えるべき」とか突然話しかけるんですか?
あなたがダサいと思う服装をしている人に聞こえるように「●●な服装してる人ってダサいよなーーーー!!!!!」とか抜かすんですか?

もし言うんだったら、あなた結構ヤバい人だから、改めたほうが無難だと思います。

なんで物作ってる人だけ、特にネット上で、そこ、軽んじられるんですかね?

って私は思っているんですよね。

ぜったい、いいとこ言い合ったほうが実りがあるし、その土台があってこそディスり合いも成立すると思う。
褒め合いもなくいきなりディスり合いとか、ないでしょ。

まじで。

私はそう思ってますよ。

まじで。