気分をスケッチする話

最近、感情がいまいち上手く言語化・あるいは作品化できない時、「気分スケッチ」をします。

「他者に伝える」「他者になにか感じてもらう」といった、共通言語的なものに変換する作業を省いて、ただただ自分にしか読めないメモを残すというものです。

私の場合は、このようなものになることが多いです。

今になって、なんか前にも似たような話を書いたことがあるような気がしてきたんですけど、力技でゴリ押ししていきます。

小さい頃からこういうことはしていたのですが、あるとき、中学生ぐらいだったかな。
「変人ぶってる」的なこと言われたんですよね。それでなんか、恥ずかしいと言うか、これダメなんだと思って、やめちゃったんです。

今は直接そういうふうに言われることはほとんどないですが、ネット上でネチネチなんか陰口言ってるつける薬もねえクソ野郎はいますね。見なきゃ無害なのでほっとけばいいです、どうせなんもできゃしないんだから。

さて、私は、本をちっとも読まない割には意外と「この気持をどんな言葉にしてよいかわからず、嘆く」というのは、文章においてはそこまで頻繁にはありません。(ただし瞬発力には欠けるため、推敲・長考ができない口頭においては非常に多くありますが)

ですがそれでも、「知る限りの言語として存在しない、どんなに時間をかけてどんな言葉の組み合わせをしても表現しきれない感情」というのは往々にしてあるものです。

そういうときに、気分スケッチの出番です。

今の私は上記の気分スケッチを言語化して人様にお伝えする語彙を持ちませんが、そのうち何らかの共通言語に変換できるようになるかもしれないので、これをかきとめて、とっておくわけです。

それが歌になるのか、絵になるのか、文章になるのか、はたまた別の形になるのかはわかりませんが、「誰かしらに、できれば多くの人々に伝わるような共通性のあるなんらかの言語」に置き換えられる日が、そのうちくるかもしれません。

私は気分スケッチのさい、手持ちの色鉛筆を使っていますが、気分を色で語るタイプの人はもっと混色が出来る画材のほうがいいかもしれませんね。気分に該当する色がないといらっとするかもしれませんから。
あと音楽脳の人はメロディとか声色で語る感じですかね。
それから、紙を思った形に破く、とかでもいいかもしれませんよね。

上記のやつも、いろんな部分がメモになってるんですよ、左寄りなのとか、筆圧とか、地面らしきものがあるのとか、いちおうこれで成立してるんです、私の中では。

これを、伝わる形におこすのが作品作り。そう、私の中では。

だけどですよ、「変人ぶってる」って軽々しく言って笑った人すげーひどくないですか、勝手に決めつけて人の居場所狭めて。
私がそれをやめたら、お前は満足なんか? ああ?
って今だったら言えますけど、こう見えても昔気が弱かったんですよ。言えなかったし、はみ出して笑われるのが怖いタイプだったので、すぐシュッて手を引いてしまった。

今頃はもうちょっと「人のことは人それぞれ、自分が迷惑被らないならほっとく」が出来るようになってればいいですね、その人も、付ける薬もないくそ野郎さんも。

ダイバーシティ〜〜〜〜。