腕に古傷がわりとある話

私の腕には、リスカ痕がまあまあある。

もう10年くらいはやらかしていないので、だいぶ薄まったけれども、左前腕にびっしりと傷がある。

このことを今ここではっきりと明記するのに、相当の勇気と、かなりのためらいを要した程度には、私はこの腕を気にしている。

家の中では夏場は半袖で過ごすけれども、外部の人間に接するときには、必ずカーディガンを装う。
「外部の人間」とは、夫以外の親族をも含む。実の親にも、リストカット自体は若い時バレたけれども、ここまで傷跡が残っているさまは見られていない。

真夏にカーディガンを着ている時点でバレる人にはバレるのだけれども、私は「バレないように」を目的にしていない。
いや、基本的には「バレないように」がメインではある。が、しかし、バレるタイプの人向けには、「私はこれをバラしたくないタイプですから、触れてくれるなよ」というメッセージをこめている部分がある。

海やプールに誘われても、今どきはラッシュガードが普及しているので安心だ。

結婚式のときは難儀した。
ウェディングドレスは露出が大きい。前腕はグローブでごまかしたけれども、親戚のお子さんに「どうして肩に傷があるの」と訊かれて、答えに窮した。

自分がやらかしたことであるから、自分でケツを拭くのは当然のことである。

ところで私は、成長がひとより遅かった。
みんながやれることが私にはできなかった。
みんながわかる世間の都合が、私にはわからなかった。

世の中のすべてがとてもずるく思えたことをよく覚えている。
そのずるさが生んだ矛盾の矛先がすべて自分に向いているかのような、とてもこわくてかなしい、どうしようもない感覚も。

私は自分の自傷行為を正当化するつもりは、一切ない。
これはものすごく、よくないことである。誰も得しない。
誰にもこんなことはしてほしくない。これによる自分の後悔や不便は半端なものではないし、たくさんの人を悲しませることになる。

けれども、「すでにしてしまった過去の自傷行為」についてはどうだろうか。
今それを責めたり、嘲笑ったり、見下したりして、何かが生まれるかしら。

今の私は、「リスカ見せつけ系メンヘラ」に見えるだろうか。

私はいつまで、この過去の負の遺産を背負っていったらいいだろうか。

いや、自分がやったことだから自分でケツは拭く。
一生連れて行く以外の方法はない。
伴侶を得た以上、私の都合で高価な整形手術というわけにもいかないですしね。

でも、ほんのときどき。
どうしようもなく、世間の「リスカ女」みたいな目がうらめしくなる。

自分でやったことですけどね。
どこまで払ったら、許してもらえるんだろう?

自分が悪いんですけどね。