つくるときの話のつれづれつれづれしたやつ

これは読み物ではなくて、頭の中の思いつきをまとめずにそのまま書き散らかしているだけのエントリーなんですけど、
なんかこう、私は結構何も考えずにつくる方なので(特に絵)、細かい部分に何か意味が隠されているとか裏のメッセージを含んでいるとかはそんなになくて、わりと、どストレートに思いつきをそのまま形にしてあるんですよね。

絵のタイトルとかも後付で、「この部分、こういう解釈もできるな」って自分であとから思いついて結構てきとうにつけていたりするんですよね。

なんらかの意図を持ってメッセージとして描く・あるいは歌ったりつくったりすることが、まあそりゃあまったくゼロというわけではないのですがあんまりなく、言ってしまえば小学校から帰ってきた児童の「あのねー、きょうねー、たかしくんがねーおもしろくてねー、それでねー、おもしろかったからねー、かいたのー、みてー」に近いものがあります。

「知能をつくることに全振りしている」というタイプでもないので、なんというか、「常人では思いつかないようなこと」はまず思いつきませんからねえ。
「誰でも思いつくんだけども、実際にやるまではいかないことを、勢いでやってしまう」というスタイルが多いですね。

こういう「もう発想からして違う」ではない人間の場合、「画力」「技術」「知識」というのは本来すごく有意義なものになってくるんですけど、残念ながらわたくし、努力ぎらい。ストイックとは真逆の星に生まれた。

数値で測ったわけじゃないのでたぶんですけど、私は空間認知能力があまり高くないなー。
普通の生活(地図を見たり)するのに困るほど低くはないけれども、デッサンの整った安定感のある絵を描くとか、その場にいるような臨場感のある立体的音場をつくるっていうことになってきますと、たぶんその道でガッツリ活躍してる人と同じ量の努力したとしてもその人にはたどり着けないなあ。

なんか、デッサンとかするじゃないですか。
ふたつのものが、前後にぽつりぽつりと置かれているタイプのものをデッサンするとしましょうよ。
そしたら、相手は立体でしょう。それを2次元に起こそうというときに、たとえばうしろのほうにあるものを手前のやつに対してどこらへんに描いたらそれらしいのかが、つかめないんですよね。

目のピントが、手前のものを描くときは手前にピントを合わせるし、後ろのもの描くときはうしろにピントを合わせるじゃないですか。
そうすると、なんか、位置関係というか、「この線が手前のオブジェクトのどのへんに着地すれば、今私に見えているように描けるのか」がわかんないんですよ。

見たまま・そのままを忠実に描く、は私にとって本当に難しいです。
似顔絵ならなかなか得意なんですけど……。

だから、決まった形のない植物や動物のほうが、静物に比べればまだうまくかけますね。手癖での補完である程度まかなえるというか。

確固たる正解のある静物は、明らかにゆがみます。精密な模写、本当にできない。

ここで、私のような人間は悩むわけです。
自分はどうするべきか。

1,高いレベルを目指して、苦手なことにも立ち向かい、もがく。

2,あきらめて自分にできることだけやる。

3,寝る。

私は本当に努力が嫌いなので、こういう時、絶対に2からの3なんですよね。

なんでしょうね、なんだろう、いちおうだけ自分の名誉のために言うと、「がんばる」はします。
「たのしいと思えるようながんばり」については、意外と、積極的に行います。

なんかね、最近、自分がデッサンしたゆがんだ静物、ちょっと好きになってきたんですよね。
決して私の目にはそう見えているというわけではなく、正解はもっとちゃんとした形をしているんだけれども、なぜか自分の手はそうとしか描けない、そのままには再現できない、その感じが、なんか、嫌いじゃないんですよねえ。

トレースとかすりゃあ、きれいにはなりますよ。
お仕事いただいて描く絵では、トレースも使います。
でもやっぱり、なんだろうな、この「いっしょうけんめい、努力はしたのですけれども。」みたいなタッチ、私は、自分で言うのもなんですが嫌いにはなれないんですよ。

「わし、人間やわあ……!!!」って思うんですよ。

あとさあ!
なんかさあ!
らくがき程度の、ノートの切れっ端になんとなく描き始めたやつがなんかいい感じに育って、「これはちゃんとした紙に描きなおして、色も塗って、作品にしよう」と思ったらさあ!
ちゃんとした紙に描いてもぜんぜんいい感じに描けんくて、最初のらくがきの感じがベストのまま不完全燃焼して、くやしいとき、あるよね!!!!!

あの現象、なんなん。

ナンなん?

チャパティなん?

チャパシティー。

チャパティのひろさ、すなわち、チャパシティー。

こぶりのピザくらい。

何の話やったかな。もうええか。ねよ