なぜ情熱が笑われるのか考えたり色々

情熱って笑われるんですよ。
ほんとに笑われます。

人の情熱を笑うタイプの人のご発言を見ていて感じるのが、
「誰かに自分の情熱を笑われた経験があったり、情熱が暴走して誰かに迷惑をかけた経験があったりして、タブー意識が芽生え、恥ずかしげもなく情熱をあらわにしている人を見ると自分が恥ずかしいような気持ちになってしまう」
というパターンが結構ある気がしたんですよね。

もちろん、単純に「冷めてるオレ、かっけ〜!」みたいな人もいますけど。
そういう人はここでは除外しますね。

私はけっこう、元々の性格が情熱的なほうなんですね。
わりと感情的で、突っ走るタイプで、「これをしたい!」と思うととりあえずやってみないと気がすまないのです。

自分で言うのもなんなのですが、ものすごくいいように言えば「一生懸命であり、入れ込むと非常に一途でそのことしか考えられなくなる全力投球タイプ」というところがあると思います。

ただですね。
私のような、このタイプの人間っていうのは、一つ、欠点がありまして。

「遠くから見てるぶんにはいいけど、隣にいるとちょっとウザい」んですよね。
このタイプってね。

わかってるんですよ。自分で。
わかってるというか、わかりたくてわかったわけではなくてですね、生きてきた中で自分がいかにウザい存在であるかを思い知る経験を、ものすごーく、してきているので。

今でこそちょっとブレーキも使えるようになってきたんですけれど、昔は本当に……。
馬鹿にされるだけならまだしも、ひとさまに迷惑をかけたり嫌な思いをさせたり。
世間を知らなさすぎて、人の都合がわからなくて、独善的だったんですよね。
悪いことをしてやれと思ってやってるんじゃないですけど、いいことをやってるつもりだったんですけど、押し付けがましかった。
「どんなにいいことでも、相手がいらないと思ってるならいらないのだ」ということがわかってなかったと思います。

しかも、責任「感」だけはあるんですけど、実際に責任をとる能力がなかったから、いっろいろ破滅していって、おまけに息の抜き方も知らないから、「自分がよかれと思ったことで人に迷惑をかけている」っていう事実に耐えられなくて大酒飲んで意識飛ばして逃げるような生活で、本当に駄目でしたね。

それで、「何がいけなかったか」を考えるとなるとその出来事を反芻しないといけないでしょ。
それが怖くて、「私は生物として駄目なんだ」「全部自分が悪い」と、自分のすべてをいっしょくたに否定してしまって、なんというか、自分で自分に本来必要ではない行動制限をかけてたんですよね。

もともとは結構人懐っこいほうだと思うんですけど、自分からはまったく人に話しかけられなくなったし、自分がなにか行動を起こすとろくなことにならないっつって、誘われない限りなんにもしないでじーっとしていました。

で、その一環として、「情熱的なひととは距離をとる」という行動制限をかけていました。
でないと、自分の気持ちもノッてしまうから。
自分がノッてしまうとろくなことにならない。全員に迷惑をかける。だから近づいてはいけない、自分をほめる人間を信じてはいけない、という思考パターンがまじで染み付いていたのですよね。

で、すごく気にかけてくれる人に、つい心がノッてしまいそうになって、それがもう、「やばいまた迷惑をかける、また怒られる、また嫌われる」と心から怖くて、話の途中で遁走して消息を絶ってしまったりなど。

「情熱が怖い、好かれるのが怖い、頼りにされたくない、いないものとして扱われたほうが楽」みたいな状態だったんですよねえ。

でもなんかこう、投薬などによりちょっとだけ精神的にゆとりが出来てきたタイミングで、もう見たくもない思い出したくもない苦い思い出どもと、ほんっとうに嫌でしたけど、向き合いましたよね。しょうがないから。
「全部自分が悪いんだから、永久に自分を責めとくから」では、これはもう許されないな、と思って。

自死もわりとシリアスに何度となく考えたんですけど、私の場合「最初からいなかったことになりたい」であって、今更死ぬとなると事実上誰かしらに迷惑がかかる以上はやっぱり死ぬわけにいかないから、じゃあ、遅ればせながら今からまだマシな生き方するよりほか、ないじゃないですか。

それで、その嫌な思い出を全部、一個一個、
「これは、単に気持ちが恥ずかしかっただけでだれにも迷惑かけてないから良し」
「これは、ここの考え方が少しよくなかったので要改善」
「これは、今冷静に考えても自分だけが悪い話ではないので、そもそも難しい課題だった、ベスト対応ではないが及第点」
「これは、この部分が駄目だったのを自分の中でごまかして駄目の上塗りをしてしまったので二度としちゃ駄目」
って、公平にジャッジしていって、つらかったですよこの作業、もう二度とやりたくない。

そんな作業を経て思うのですが、やはり、情熱的であることはいいことだと思うんですよね。

人に押し付けない、視野を広く持って肩肘張らないよう心がける、むやみ矢鱈と振りまかない、などの対策は必要なのですが、やはり、心に情熱を持っていることは、決して恥ずかしいことではないと思う。

ところで「テンションを高く生きる」と「情熱的」は、私の言ってる意味のなかでは、イコールではないです。
私自身、高いテンションで目をギラギラさせて、あからさまな自己啓発本そのままみたいな上昇志向を持つべきとかってグイグイ来られるのはそこまで得意ではないです。
わりとゆっくりめな人間なので。
全員松岡修造みたいになれってんじゃなくてですね、情熱っていうのは形が決まってないので、すごくおとなしい、表立っては見えない情熱っていうのもあると思うんです。

だからなんかこう、
自己顕示欲とかって、なんかみっともない扱いされるし、私も「そこまで言われるならみっともないのかな……」と思ったことがありますけど、やっぱり全然はずかしくないと思うんですよね。
「オレの作品を見てくれ」なんて、誰にも迷惑かけないじゃないですか。その自己顕示欲。

だから、人が情熱的になんかやってるの見るといやな気持ちになる人の中には、たぶんこう、つらい思い出がある人が多いんじゃないかなあと。
「情熱的であることは、馬鹿にされるべきこと」というわけではないんだと思うんですよ。

あとね、「熱くなるとかだっせ〜、ってすねながら、実はそういう情熱のある人が自分を見つけて拾ってくれるのを待ってる(のに拾ってもらえないからさらにすねるという悪循環)」って人、けっこういるんですよね。

私は残念ながら、私のこと馬鹿にしてくる人まで拾ってあげられるほど心も頭もキャパシティ広くないので、そこまで手を出すのは差し控えています。
それこそ私のキャパでは最後まで責任持てないですからね。心理士とかの資格持ってるならまだしも、素人ですし。

情熱、ないならないでそれもいいんですけど、心のどこかにあるんなら、それは恥じなくても隠さなくてもいいと思いますね。
だからといって無理やり表に出す必要もないですし。
虎視眈々と燃やすだけで十分。

ボヤぐらいで。

やっぱグイグイ来られるとまだ引いちゃうんですよ。
おっかなびっくり「ああああ〜〜〜!!!すいませんすいません!!!!いいですか!いいですか!!ごめんなさい!!!!もし、もしも!!!!!もしもよければなんですけど!!!!!!!」みたいなのが私は合ってますね。

これはこれでうぜえな。

まあいいや。

うざいだけなら誰にも迷惑かけてないからね!

どんまい。