性別についてはどうしても多少のひっかかりがある話

この話、すごい何回もしてるんですけど、なんか頭の中で考えをこねくり回す機会がどうしても多いんですよね。性別ってやたらと生活の中で出てくるから。

私はね、女なんですよ。
からだも女だし、自分のことを女だと思っています。
自分の性を男だとは思っていません。女だと思います。

しかしながら、私の中でひっかかりがあるのは、「社会的性別」とでもいいましょうか、その部分なんですよね。

女が担うことになっている、社会的な役割っていうのが、どうしても私にはフィットしないんですよ。

だからといって、じゃあ現在の社会で男の役割とされていることが全うできるのかというと、それもフィットしません。

なんか安っぽい表現になるんですけど、私は、女とか男とかじゃなくて、あくまでも私に出来ることしか出来ません。

たとえば。
家庭の中で、私は料理はできますので、担当しています。
が、片付けや掃除はめっぽう苦手ですので、これは夫が担当しています。
そして現在は、稼ぎ頭はいちおう私です。(ただしパートタイム勤務ですが)
いまは、料理と買い物以外の家のことは、専業主夫である夫がしてくれています。私の苦手分野を補ってくれているため、非常に助かっています。

私は、現在の観念で一般的とされる女性的役割を全うしていません。
そして、たぶん現在の観念で一般的とされる男性的役割を担ってフルタイムで家計を支えることもまた、できないと思います。
これは男か女かは関係なく、シンプルに、「私はよっぽど合う会社が見つからない限り、フルタイムの会社づとめは難しい」というだけです。
夫もそうです。お互いに少しだけはみだしているタイプです。
だから、適当に自分らの都合のいい感じに折半して、やっています。あまり体裁にこだわらない人で助かります。

私は、今から書くこれは「嫌悪感」では決してなくて「違和感」でしかないことを強調させていただきますが、「女に生まれたら、女を楽しまなくっちゃ」という文言には少し疑問があります。
前述の通り、私は女です。が、私には私の人生の楽しみ方があり、「女性らしく生きる」という生き方に興味があまり持てません。

だからといって毛嫌いなどでは決してありません。例として、私はメイキャップ動画が大好きで、特にドラァグクイーンのメイキャップなどもはや芸術品です。
また、色とりどりにちんまり・きらきらと並んだ化粧品なども、たいへん愛らしく感じます。
美容に気を遣って、美しく着飾った方々の凛とした姿も、たいへんかっこよく、すてきな生き方だと感銘を受けることしきりです。

ただ、それはあくまでも、その人の固有の輝き方なのですよ。
私の固有の在り方は、たまたま、それじゃないんです。
ただそれだけの話なんです。

女は〜とか、男は〜とか、正直、いまだに言う? まだその話する? このご時世にまだ女性脳とか男性脳とか信じてる?
みたいなところ、あります。

私は女ですけれど、社会的な性別としての「女性」では、残念ながらないと思います。
ただ、私の性自認はあくまでも女であり、男ではないです。身体性も女なので、性自認は身体と一致しています。
ただ、社会的な意味で性別に与えられた役割というのが、ことごとく合わないだけです。

生き物なんだから、当然性差はあると思います。
性差から自然と役割分担もされていくだろうと思います。それはおかしくないと思っています。
男女平等という言葉も、私は「男も女も同じことをしよう」ではないと思っています。軸が違うと思います。「これまであった男女差というものを一旦無しにして、あくまで個々、それぞれの向き不向き・得手不得手を重視しよう」という考え方のことを「男女平等」と呼ぶのだと考えます。

性別ってちょっと、独り歩きし過ぎちゃいましたよね、どう考えてもね。
生物学的な性差を超えて、社会的性別が確立され過ぎちゃいましたよね。

「これからは女が男に勝たないといけない」みたいなのも、私の中ではなんか違います。

私がいいたいのは、「どうでもいい」ということです。

その人がどうあろうと、こっちに迷惑がないなら、あるいはその人が悪意を振りまいたりしてないなら、わりとどうでもいい。という気持ちが必要だと思います。
だってどうでもよくないですか? 実際。

お化粧とかさー。したい人はどんどんしてほしい。お化粧してる人だいすき。
きれいな服をきて、細部まで気を遣ったおしゃれを心がける人もすっごいすき。
カフェごはん★みたいなのできる人も、すごくすてきですよね。本当にすてき。

ただ、「それが女の有るべき姿」ではないのですよ。別に。
私はあくまでも「私の有るべき姿」でいたいのであって。
そうしたらこうなっただけなんですよ。シンプルに。
なんもカッコつけるわけではなくて、男ぶるのでもなくて。

「女なのが嫌なのに、なんでスカート履くの?」

履きたきゃあ履きますよ。
気が向いたときには化粧もする時ありますし。
そもそも女なのが嫌なんじゃないですし。
女はこうしろ、男はこうしろ、が嫌だっつってるだけですし。

私自身も錯覚していました。自分が女なのがコンプレックスなんだって。
でもなんか、そうじゃないな。
男にも女にもなれない感じがしんどかったんですよたぶん。もし男でも同じコンプレックスに苛まれたと思う。
今は素直に、私は女ですね。女です。たまたま体が女だったし、脳もそれを納得して女やってると思います。
ただし現在の社会に望まれる「女性」ではないですけど。

生物としての性以上に、概念としての性別を分けすぎたよな〜〜〜人間は、という気が多少します。

なんかそんなかんじ。

ば〜いちゃ。