とりとめもない話

のん、うぃ、のん、うぃ

やっぱりまだ、愛されることに罪悪感があるな。

それはそうと、きょうのらくがき。

アンビエントの曲みたいなの、まんがにしてみたかったんですけれど。
うーん、ちょっと表現が安直すぎたかも?
もう少し詰めてみたいと思います。

さっきの話を、少し、したいと思います。

うつ状態はすっかりよくなっているのですが、なんかやっぱり、罪悪感は残っていますね。
私が不幸でいないと救われないひとが確実にこの世にいるのだ、という感じの罪悪感があります。
自分に対して意地張って、「いいや、幸せになるのはいいことだ」と唱えまくっていますけど。

「私は、こんなにのうのうと生きて、どれだけ厚い面の皮をしているんだろうか」という感覚は、なかなかにしぶといものですね。
自分で自分に「もう時効〜!」なんて、とてもじゃないけど言えません。
迷惑かけっぱなしの人生でしたからねえ。

「これまでの自分の行為から考えて私は恵まれる資格がないにも関わらず、運で人に恵まれており、これを私は、非常に強烈な悪であると感じる」と、仮にここで吐露したところで、「そんなことはない」と否定してくれるやさしい人が周りにたくさんいることを私は理解しています。
ただ、私はその状況をこそ罪悪であると感じてしまうフシがあり、そして自分がそう感じてしまうことが周りの方に申し訳なくて仕方なく、その点にこまっています。

実質的に、私が存在することによる周りの方への被害を最小限に抑える方法としてもっとも有効なのが「私が精神的に落ち着き、自身を持ち、自分の足で立ち、まあそこそこうまくやり、誰にも心配をかけないようになること」であり、それを非常に強くこころがけることによって贖罪をおこなっているようなところであります。

「贖罪の余生」と、宣言しましたから。

いつも、ふとしたタイミングで「おい、お前、どのツラ下げて楽しそうによろしくやってんだ」と、背中にぞっと冷気がはしります。
でも、それを厚顔無恥にも振り切ってしまわないことには、結局周りに迷惑の上塗りをしてしまうことを、私はすでに知ってしまいました。

そんなおばけは見なかったことにして、聞かなかったことにして、罪悪感なんて何にも感じないばかのふりをして、時々「お幸せな脳みそ」と罵られながら、私はこの先もゆきますよ。

あっさり消えて忘れるような罪悪感は、咎なんていいませんしね。

こうやって浸ってるのなんかも、懲罰房ゆきですよ。

だめですねえ。



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