発信ツールに悩む話

Twitterは好きなんですよ。
いろんな出会いもたくさんありました、もう足向けて寝られません。

好きなんですけど、やっぱり基本的に、何気ない、無為な、履歴を残す必要もないふわっとしたつぶやきに特化したツールだと思うんですよね。

正直、情報や作品の発信・取得ツールとしてとか、コミュニケーション、意見交換(議論)ツールとしてものすごく優秀かというと、それがやりたいならもっとそれに特化したサービスがあるよねという感じがします。

政治の話とかも、ツイッター上での勢力というか一連の大きな流れみたいなものを感じても、基本的に、一概には信じないですね。
何かに反対するハッシュタグを投稿するみたいな流れとかも、あんまり乗り気じゃないかな。意思表明ならもっと有効なやり方がある、と考える。
(いやふつうに、それこそGOTOキャンペーンとかも「いや今じゃないでしょー」くらいは思っていますよ。でもそれは私は窓口にメールします。数を募るとしたら、「みんな窓口にメールしましょう」という扇動の仕方をします。ツイッター上で反対を叫ぶよりそっちのほうが早い。)

Twitterがよくないとかそういうことすべきでないということでは全くなく、そもそもそういう使い方をするように設計されていない気がするので、それらをやるには少々不便かつ、信頼度や実質的な効果の面でやや劣ると思うんですよ。

話がすっかりそれてしまったんですけれど、何が言いたくてこの話を始めたかと言うと、「絵とか音楽とか、作品を発信するのを、楽なのでついTwitterでちゃちゃっと投稿してしまうんだけども、果たしてそれがベストチョイスなのだろうか」というのを考えてるところなんです。

そこから派生していろいろ考えてしまうんですけれども、私はこれまで、「なんていうことない感じで、サラリと、息を吐くようにしれっと作品を投稿して、そのあと何も言わない」みたいな感じがカッコいいと思ってきたんですよ。

でもね、それはちょっとね、本来の姿に見合わずカッコつけていましたね。
私はね、どちらかというと「あのねー!! できたのー!!! みてみてー!!!」タイプなんです。
ここをごまかすと、だんだん、言いたいことが言えてない・腹にものがあるのに相手に伝わってない感が出てきて、フラストレーションがたまってきますね。

やっぱり私は、「見てもらいたい」という感情が大いにありますね。
これをカッコつけて否認するとなんか鬱屈してきますから、ちょっとカッチョ悪い気もするけれども素直になって「見てもらうためには」を考えたほうがいいと思ったのですよ。

で、やっぱりTwitterは好きなので、Twitterでの発信を軸にやっていきたいわけです。
となったときに、どうやるのがいいんだろうか、という。

ひとつおもったのが、やっぱり、発信のときにパパッと手間かけずに発信すると、それなりの温度でさらっと受け止められてしまうフシがあるような気がしました。
かと言って、投稿するたびにガッツに溢れた熱い紹介文を自分で書くのも私の場合ちょっと違うんですよ。それはなんかヤなんですよ。ここが難しいところです。無駄なプライドがあります。

で思ったんですけど、もしも私ごときの絵にでも興味を持ってくれる人がいるとしたらば、その人が知りたいのは私の熱い思いと言うより「その絵について、より詳しい情報」ではあるまいか。

たとえば、使用した画材、支持体、画法。作業時間。サイズ。全体像1枚だけじゃなくてあらゆるアングルからの雰囲気、表面の質感。
私のこと好いてくれている人が知りたいことって、そっちじゃね? と。

それをいちいち記録して添えるという手間をかけることによって、見る人も「おっ」と一瞬座り直してから見てくれるかもしれない。

など。

で、なにげないらくがきと気合入った絵とでは見せ方に温度差をつけて、なんというかメリハリのある投稿したほうが、見る人もどれに注目したほうがいいかわかりやすいかなあ、とか、考えました。

見たい、と思ってくれてる人がいらっしゃるとしたら、その人のためにきれいにかっこよく見せるための手間をかけるのが、感謝のしるしになるのかもしれないなあ。
今まで、この考え方、なんか調子乗るみたいでちょっと気が引けていたんですけど。

3日坊主になるかもしれないんですけど、今度からちょっと試してみようかな。

おぼえてたらね。

おぼえてるんかな。

サイン入れるのももう忘れてる。

いかんねえ。