「見てもらえるようにする」みたいなことをどれぐらい意識したらいいのかぶっちゃけわかってない話

私は昔から、「テスト前日にあわてて一夜漬けして当日に臨む」っていうタイプじゃ、なかったんですよ。

じゃあ毎日コツコツ勉強してきたタイプなのかというと、全くそうではありません。

しないのです。
勉強を。

座学が、本当に苦手でございまして。
基本的に、体当たりで物事を覚えてまいりました。

それで、タイトルの話になってくるんですけれどもですね。
お勉強しないもんですから、タイトルの「見てもらえるようにする、要は自己宣伝活動みたいなのを、どれぐらいの温度でやったらいいのか」が、わかんないんですよね。

いやね、だからといって「見てもらえるような行為を実践すれば必ず見てもらえるか」っていうと、別にそういうわけじゃないと思うんですけども。
結果どうこうはさておき、そういう、人目に触れる機会をできるだけたくさんこしらえるようなことを、積極的にやるかやらないかですよ。

まずですね、私の、恥も外聞もかなぐり捨てた「こうだったらいいのにな」という理想は、下記です。

「自分からは物言わず、スッとクールに作品だけ出したら、即座に全人類が気づいて作品を見てくれて評価がされて、ブワーって買ってくれて、ブワーってお客さんが増えて、活動資金がいっぱい貯まって……と、とにかく、よいものさえ作っていれば自動的にいろいろブワーってなる」

これがね、これが理想なんですよ。私とて。
正直言うと、プライドが、なけなしのプライドがね、自分の作品について積極的な自己宣伝活動をすることに、ウウウと抵抗している。

だってね、何かを黙々と作り上げることと、それを自分で宣伝することって、なんていうか、気持ちの上ではまったくもって相反する事柄なんですよ。
すごいこう、どこに立っていたらいいのか、わかんなくなってくる。

何かつくってるときって、とことんまで自分に対して真摯になっている状態なんですよ。私は。
いうなれば、自分をどれだけなぐさめられるか、どれだけ自己満足に没頭できるか、みたいな。
変な話、私が何かつくるのって「ザ・自分勝手アワード」みたいなところがあるんですね。

でも、それを見てほしいってなると、今度は他者のお気持ちをしっかりと立てる、見る人の気持になっていろいろ考える、見る人がどうしてほしいかに寄り添う、そういう考え方が必要になってくるじゃないですか。

そうやって考えていると、ふとした時に「そもそも、私みたいなもんの絵、みんな見たいか?」「自分で作った、この程度のものを見てもらいたがって自分で公開してしまう私の自己顕示欲って、モンスター級なのでは……」と、ゾッとしてしまったり。

私のものづくりの原動力と、「宣伝」という行為に必要な精神状態が、やや矛盾してしまっていて、どうも常に迷いの中でやってしまっているのが現状なんですよね。

もちろん、そんな不安に押し負けるほどやわな承認欲求ではないですからね、私の承認欲求はナイアガラもびっくりの流水量を誇りますから、結局、公開をやめることはまず100%ないんですけどね。

まずやっぱり、「よいものを作ってる」というのは、自分をPRするにあたり強い武器になりますよね。

ただね。私は、「私にとってサイコーのものを作ってる」のであって、「あなたにとってサイコーかどうかはわかりませんけど」としか言えないんですよね。

あ。
それでいいのか。

今なんか、思いました。
それでいいんだ。

「私にとってサイコーであるものが、あなたの琴線にも触れたら」それでいいのか。

あ、ブログ書いてよかった。

この方向性でいこ。

すいませんあっさり自己解決しました。

元気いっぱい35歳です!