考えなくていいことを考えてみる(自分の中の、中枢、皮、コーチ)

ここ最近まで、うつの再発がこわいので「深く考えない」という方法で精神の安定をはかっていたのですが、いよいよ具合がよくなり、「もう、少々の考え事をしたとしても、あまりずぶずぶ落ち込まないような気がする」という段階になってきたので、考えなくていいことでも考えようかなと思います。

そこで、創作をする時に私にとっては重要な「自己肯定感」について考えてみようと思うんですけど。
なんかねぇ、私が「自分が持っている自己肯定感」だと思っているものが、正解なのかどうかよくわかってないんですよね。

以下は、本当に頭の中がそうなっている(複数人いると感じている)わけでは全くなくて、たとえ話というか比喩というか、あくまでもイメージなんですけど。

まず、私の本体が二重構造になってるんですよね。
中枢には当然、最強に自分勝手な私がいるじゃないですか。いい意味でも悪い意味でも身勝手で完全に自己中心的な私がいますよ。それはもちろんいます。

で、その自分を「めちゃくちゃ自己肯定感の低い私」が、厚い皮として覆ってるんですよね。
その皮が、ときに私を苦しめもするけれども、同時に私の社会性を保ったり、ガチで傷つくような出来事から中枢を守る役目を果たしている。

その二重の層が、私の本体というイメージ。

で、さらに、もうひとりいるんですよ。
側近というか、メンタルコーチというか、「松岡修造にしてはややネガティブだな」ぐらいの松岡修造みたいなのが、本体を常にガードしていて「おっ、その考えは行き過ぎでは?」とか「今のはもうちょっと深く切り込んだほうがよかったでしょうね」とか、「いいよいいよ!調子乗っていこう!!ガンガン真に受けていこう!!」とか、「もっと熱くなれよ!!」とか口出してくる感じの、本体からワンクッションおいた自分みたいなものがいます。
これは、以前いませんでした。いたのだとしても、ろくな仕事をしてなかったです。

だから、こう、「うつ状態がよくなりました」と言っても、私の場合、実際には本体そのものは何も変わっていないんです。何も改善していないし、何も悪化していません。
ずっと、ものすごく自分勝手でめんどくさがりな中枢を弱気で卑屈な皮が包んだ、あまりうつくしくない生き物のままです。

そうした本体のネガティブさは何ら変わっていないんだけれども、「頭の中にわりとポジティブなメンタルコーチを雇った」と例えることができましょうか、そういう感覚を持っただけです。

私が自己肯定感らしき感覚を覚える時というのは、まったくの手放しで私の本体そのものが自分を認めているわけでは決してなく、「私の中にいるメンタルコーチが、私が不当に落ち込むのを防ぐために、すかさず適切にフォローしている」というイメージがあります。

だから、私の思考がポジティブに転ずるときは、ほとんどの場合、一瞬ネガティブ入ってからワンバウンドしてるんですよね。一直線にポジティブ方向に飛んでないんですよ。
ある種の付け焼き刃なんです。

私の中枢となる部分は本当に、非常に自分勝手ですから(これは私が特別に自己中心的人物だということを意味せず、誰しも皮をはいだ中枢は自分勝手で自己中心的なはずです)、これを丸出しにするわけには最初からゆきません。これは、大事に隠して保持しておくべき部分です。

ですから本来は、私が「皮」と例えている、生育歴の中で得た防御壁の部分をこそ、変えるべきだったのかもしれません。
しかしながら、私の場合、皮はすでに弱気で卑屈な状態でかなり強固に定着しています。
この皮を変えてしまうことが、どうしてもうまくできなかったのです。

皮を変えてしまうことは、私の例えで言うと「本体」そのものに手を加えることです。
それは不可能に近いか、「不可能ではないが、非常に強い痛みを伴い、リスクが高い」のではないだろうかと思います。

たぶん、本当の意味での自己肯定感って、「何も考えなくても何も成し遂げなくても生きてていい・楽しんでていいと思う、というかそんなこと思うことすらなく、息を吸って吐くのと同じぐらいそれが無意識下の大前提であること」ですよね?

そうだとしたら、私に自己肯定感なんぞ、ない。

過去に起こしたさまざまの罪をろくにつぐないもせずのうのうと生きている自分に対し、憎悪の感情がある。
今でも、夫の病気は自分のせいだと思っている。
何かに幸せを感じると、直後に強い罪悪感が渦を巻く。
自分がとても罪深くて醜い存在だと感じる。

それらの感覚は、まったく消えないのです。
単に、「そういった感情がわいた時に、なるべく速やかに自分を慰める架空の人」を頭の中に飼ってるだけ。

ただ、幸運にも、私の場合これらの脳内イメージが解離していません。
「それらすべてが自分であり、それらの思考が相まって結果的に表出したものが私という生き物である」と認識しています。

「自分の本来の意思と反してポジティブに振る舞っている」という感覚はなく、あくまでも「私自身の意思で自分をフォローしている」というイメージで、わりあい、これまでに培ってきたすべての「自分」を良きも悪きも生かした自然な状態に近い精神状態だと自分では思っています。

そして、こうした脳内マップは、自分の努力で計画的に作り上げていったものではなく、うつの状態が治っていく中で勝手にそうなっていったのを、今あらためて私なりに脳みそのなかを眺めてみて、分析したものです(分析と言えるほど大したものではございませんが)。

だから、今くるしいさなかにいる人が自分の中の自分勝手な部分にヘタに切り込んでいったら、よくないような気がする。負けちゃうような気がする。
治った後に結果論として見るのがいいのじゃないかしらとおもう。

「うつの感じが治ったからって、心底脳天気なバカになっちゃうわけじゃないよ」ということで、ひとつ、安心材料にでもなったらいいなと思います。