ばかの真骨頂

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かかりつけのお医者先生に見せたら「学会に持っていく」とか「待合室に貼っとくからチラシつくって持ってきて」とまで言ってほめてくだすった冊子を、「もしかしたら、これが役に立つ患者さんがいるのかもしれない」と思って医院に数冊寄贈しようと思いたち、たくさん製本しているお調子者のわたくしでございます。

なんだか調子に乗りすぎるようで、ちょっと気が引けている自分も、確かにいるのですよ。
もともと私は性格がわりと卑屈だから。

でもね、ここで私が勇気を出して調子に乗らないと、万が一いないとも限らない「この本によって助かる人」が、私が調子に乗らないことによって助からない可能性がある、という考え方もできるじゃないですか。

そんな人物がいなかったとして、その場合どうなるかっていったら、私が調子乗りすぎで恥かいてきゃーはずかしーーーーってのたうち回る、それだけで済む話ですし。

恥なんていくらかいたって、何も金や命を取られるわけじゃないですからね。

だから、コロナ騒ぎの序盤のときも、近隣のライブハウスに「全員が家にいる状態でもなんとかブッキングライブできるよ!!!」ってメール投げまくったんですよね。
万が一、それで助かる人がいるかもしれないしね。可能な限り押し付けがましくないやり方で、無視していいですからねっていう前提で。

やっぱり私、誰かの役に立ちたいっていう気持ちがね、そこはごまかしようがなく、あるんですよね。

ただ、それは別に私がいい人というのではなくて、「自分の存在が誰かによい作用を与えている」と実感することで自分の存在を肯定し安心したいという、かなり利己的な感情から来ているものだと、自分で思うんです。

これまでにけっこういろんな人と軋轢があったり、こちらの幼稚さで傷つけてしまったり、そういうことをいっぱいしてきた人生なので、なんというか、行動が善人っぽいからといって善人扱いされるとちょっと、これまで傷つけてきた人達にいよいよ申し訳が立たなくて、立つ瀬がない。

善人じゃないからこそ、善行にすがってる。
みたいなところが、やっぱり自分で自分を反芻していくと、どこかにあるんですよ。

「突き詰めれば私利私欲ありきの善じゃん」ぐらいに思って見てもらっていたほうが、私としては、尻の落ち着かせどころがある。
もちろん感情としては相手によっては少し悔しいですけど、事実として、そうなのでね。

ただ、これらを考えた上で、やっぱり私は人の役に立ちたいんです。
こうした独善的な感情を認識したとしても、それはまちがいなく独りよがりなんだけれども、それによって私と一緒に助かる人も実際にちゃんといたんだという事実も、卑屈にならずに見つめていきたい。

ときに、私は20代の頃、「だましてにげる」という曲をつくりました。

「つめたい心で やさしくなりたかった」
「ずっと夢だった やさしくなりたかった」
「もう壊したくなんかない 本当はたくさん泣いた」

と歌う曲ですが、この頃ほんとうに、自分のこの「誰も傷つけなくて、誰かの役に立つ人になりたい」という感情を、すごく独善的なものとして全否定して勝手に苦しんでいたんですよね。

この曲は自分でたいへん気に入っているのですが、でもなんかこう、なんか、あれだな、もしいま、この曲の内容とおんなじようなこと言ってる人がいたら、なんか、なんか、あれですね、いっしょに大量のカレー煮込んでさ、大盛りにして、いっしょに食べたいね。

たぶん、なんか、そんなんでいいんだよなあ。
そんなんでよかったんですよ、たぶん、最初から。

ばかだなあ。

でも、ばかじゃなかったらここまで考えなかったから。
よかったのかもしれないです。

ひきつづき、ばかでいきます。

まったねー。