娯楽、芸術、応用美術、ふにゃふにゃふにゃ

私は、便宜上とりあえずで「芸術」又は「アート」とか「創作」とかって言葉を使うことがあるんですけれど、その語句の真の意味については、よくわかってないんですよね。

調べてもみるんですけど、語源というかその言葉たちがもともと持っていた意味というのはあれども、やっぱり今となっては正解はなく、人によってその定義は違っているみたい。

私は分類するなら何だろう。
雑貨とかを作ったりするので、応用美術?
いや、「美術」部分がピンとこない。

私の場合、「他の追随を許さないセンスで作品を作り上げていく」みたいなことではなくて、もっと泥臭い感じというか、「わしの生きざま見さらせ」みたいな意図を持っているところがあるので、「芸術」とか「美術」ではないような気がするんです。

「娯楽」はけっこう近いんですけれど、ただ、見る人が「これは娯楽だ」って思うぐらいライトに楽しめるものを提供する側でありたい、なんですよね。
だから私自身がものづくりを完全に娯楽として楽しんでちゃ、よくない。

そのようにいろいろと考えていくと、なんかだんだんあほらしくなって、最終的に「しゃらくせえ」と唱えて終わるんですよね。
結局、「○○になりたい」「○○でありたい」ということではなくて、わしという人間を完成させていくこと、みたいなところが目的なんでしょうね。

へんな話、私の作品というものは「今現在の私という存在から結果的に出てきた、私の老廃物」とも言えて、生んだ作品が新たに解釈されたり同じ絵を別途で新しく描いたりすることはあっても、うまれた個体そのものがそれ以上新陳代謝することはもう、なくて。
ある意味、垢とか爪に近いのかもしれない。
いや過去作にはちゃんと愛着感じているんですけれど。でもやっぱり「ぬけがら」かも。

私の場合、本体はたぶん、作品ではなくて私自身なんだと思います。
そういう意味では私の作品は、垢だの爪だのは言いすぎかもしれないですけど「代謝物」ぐらいではあると思いますね。

そうか。
私がやっていることは、「代謝」か。
私は毎日毎日、飽きもせず脱皮を繰り返しているのか。
そりゃあ、たまには出てこなくもなりますわな。そんなに脱皮してたらお肌とぅるっとぅるなってしまうわ。

おお、まとまったまとまった。
じゃあ、私が何してる人かというと、「代謝」ということで。

ヨロシク仮面。

じゃ。