私が今後「すべてに感謝……☆」とか言い出したら私はもう死んだと思ってくれ

私は、なんというか人に対する感情が濃いのか薄いのか、よくわかんないんです。

やっぱりですね、今回事業立ち上げるわけですからさすがに私もいろいろ読んでみているんですよ。
するとですね、「感謝」って言葉がえらい出てくる。

私ですね、あんまりこう、わざわざ宣言するほどには、してないんですよね感謝って。
ですし、「わざわざいちいち言葉で表明する」っていう点については、今後もしなくていいと思っている。

私が感謝するときって、「あわわわわ、こりゃありがたい、すいませんすいませんこれほんと助かりますありがとう」ぐらいの、心底助かった時ぐらいなんですよね。

ですし、よくしていただいた場合は「感謝してます」っていう言葉だけではなく「どんなことでお返しをしたら喜んでくれるかなー」と考える。行動で返したい。それも、返しすぎて相手が恐縮するんじゃあダメだ。ほどよくお返ししたい。

また、「嫌いな奴」「納得行かないおかしな意見」に対して、それすらも感謝なんだっていうじゃないですか。

確かに、そうした自分にとってネガティブな存在について、100%デメリットしか無いとは思っていません。
そうしたものが存在することによって自分の考えがより深まっていくというのは事実であり、それは大きなメリットではあります。

が、私はそんなやつに対して感謝しません。
「存在は否定しない」というだけであって、何もありがたくないです。ストレスです。不快です。ぜんぜん感謝しないです。嫌いです。
そんな奴に感謝っていうの、それただの嫌味やんって思っちゃうんですよね。

なんかこう、感謝って、表に出した瞬間ある種の脅しというか、呪いになる時あるじゃないですか。
例としては、「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」の中にある「 よ ご し て く れ る な よ 」の脅し。

私そういう、駆け引きみたいなの、苦手なんですよね。
手を汚さずに主導権握ったほうが勝ちみたいなやつ。

私の考えとしては、「すべてが私の成長のために私のほうに向かって作用しとるなんぞ、そんなおこがましいことがあるか」なんですよね。
すべては、ただ在るのみ。
すべてはただただ、それぞれの都合でそこにあって、そこにたまたま居合わせたもの同士で必要に応じて相互に作用し合うのみ。

嫌な出来事をポジティブにとらえるという意味では、「感謝」というのもひとつのよい考えだと思うんですけれども、「感謝」という言葉を周りをコントロールする手段として使うことは、私はしとうないのですよね。
「いい流れを引き寄せよう」とすることは、「周りの流れを変えさせる」ということでありますから、私はこれをあまりいいことだと思わないんです。

ただ在るものの、その流れを崩さない形で、お互いの都合が合えば相乗りして、都合が合わなくなれば「ではまた〜」と離れていく。のみ。
「感謝」で、縛らない。
自分以外、なにものも、自分の支配下に置かない。

自分の流れも他者の流れも崩すことなく、その時その時のお互いの都合を見ながら、必要に応じて組んだり離れたりすればよい、というのが私の考えなんです。

そのためには、自分というものがそこそこ確立してないと難しいと思うんですよ。
自分が確立してない状態で流れに身を任せると、精神的にも不安定になるし、どこいくかわかんないですから。

こういう考えも、この先には私の中でだんだん変わっていくかもしれませんね。
その時その時に応じて、柔軟にやっていきたいです。
土台がしっかりしてれば、ガワがどれだけ変わっても、別に問題ないですからね。

でも「すべてに感謝……☆」だけは、もし私がこれ言い出したら「きのこは死んだんだな」と思ってください。
なんか、キャラ的にツライから。

よろしく。

あっ!
あけおめ!