いまいち相手にされないけれども、という話

私は、誰に対してもなるべく「へえ!」と思うように心がけています。
要は、わからないタイプの方に出会った時、できるだけ門前払いしないで一回興味を持ってみて、可能な限り色眼鏡をはずした目でその人を見てみる、ということです。

「最初ちょっと引いてたけど、触れてみたら意外とよかった」ということは正直そこまで数多くはなく、直感が当たることのほうが多いと言えば多いのですが、やっぱりたまに私の勘違いもあって、よい繋がりに発展していったりします。

なぜそうしているかというと、私自身が、「勝手に値踏みされてあなどられて、話も聞かずにテキトーにあしらわれたり無視されたり見下されたりする」という経験を数多く重ねてきて、たいへん不愉快な思いをしてきたからです。

相手が何を以てこちらを値踏みしているかがわかるだけに、余計不愉快なんですよね。
中身じゃないんですよ。ガワしか見てねえの。
関西弁なんですかね「ガワ」って。「外側」「見えている表面」ぐらいの意味です。
「すごそうかどうか」ですよ。

対面からの出会いだとほぼ必ずナメられて「下位の人」とレッテル貼られて、逆にブログ等からの出会いだとえらい持ち上げられる。ということが、本当に多くてですね。
また、対面の出会いから何かを決めつけないで内面のほうまで切り込んできてくれた人、ほんとに少数です。その少数の人々との出会いはすっごく貴重でありがたいです。
逆にネット上で出会って、私をえらい持ち上げてくれる人が、たとえば「なんやかんやいうて、歯並び悪い奴は頭悪い」とか言ってるの見ると、あ〜〜〜〜って思いますね。すんませんいつもえらい持ち上げてもろてますけども私歯並び悪いです〜。ってなります。

で、私、「そんな奴に話を聞いてもらうために小綺麗な格好などをする」みたいなことをするのが非常にシャクなんですね。
本質と関係ない情報でもって人を勝手に値踏みすることを、私はとても下品な行為だと思っているので、「こう思われたいからこういう格好をしよう」みたいなの、やりたくないんです。
デキる人に思われたいから高い背広を着て腕時計をしよう、みたいなことです。嫌なんです、私それ。
着ているものなどを見ただけでその人の思考や生い立ちまでわかったつもりになることのほうが、絶対におかしいと思っているので。

そんなわけで、私は「なんかすごい感じを醸し出すひとびと」からはぜん〜〜〜〜〜ぜん相手にされないのですが、ちょっとだけ調子に乗らせてください、私も何も考えずに35年間生きてきたわけではないのでね、あのねえ、人の話を聞きもしないで見下したり無視したりする連中は大体、「なんかすごい感じを醸し出してるだけで実はなんもすごくねえ人」ですね。

それは決して「私の相手しない人間は馬鹿だ!」っていうんじゃないですよ、そんなもん私だって結構なバカなんで、言えば何でも受け入れてもらえるなんてはずはありません。
ただですね、いるんですよ、単なる偏見を『直感力』とか『人を見る目』とかいいように言い換えて、勝手に下位とみなした人間をバカにしてるみたいなやつが。

本当にちゃんとしてる人は、お話聞いて中身も見て、その上でちゃんと判断して断ってくれますよ。

で、何がいいたいかと言うと、「俺の話を聞きやがれ!」っていいたいわけではなくてですね。
「自分はいつも人に相手にされないから、その程度の人間なんだろうな」っていうのは絶対に違うので、そういう経緯で自己肯定感を落とすような経験は誰にもしてもらいたくないんですよねっていう話をしたかったんです。

その人がどの程度の人間なのかは、「周りに相手されるかどうか」では決まらないんですよねえ。
周りがクソ見てぇなファッキンアホで固められてたというパターンも結構よくありますから。

アトリエ始めてから本当にびっくりするんですけれど、すっっっごくいい絵を描かれる方々が、その能力を誰にも気づかれず誰にも褒められずに結構な人数たゆたってるんですよね。
別にそれでいいといえばいいのですけど、でも、「誰にも気づいてもらえない」が自己肯定感の落ちる原因になるとしたら、あるいは自分のレベルを低く見積もる根拠になってしまうのだとしたら、それはやはり、しかるべき正当な評価をもらうべきだ。

ステレオタイプのイメージでしか人を見れんような「すごそうなだけで何もすごくない奴」は、特に大人の社会ではかなり多いので、そういうやつが適当に「これはこうしなきゃダメだね(キリッ)」とか抜かしてても、惑わされてはだめですよん。

アナタはスゴイのです。

と、ぜひお伝えしたい人が多すぎるのです。

まじで。

アナタはスゴイのですよ。

言っときます。

また。