私は行動力があるわけではないんですよ、という話

ねじろも、本オープンしてから約1ヶ月が経ちました。
ビジネスとしてはねえ、ぜんっっっぜんダメ。赤字。(笑)
でも、すごく楽しくて、それでいて学ぶことも多く、いい出会いもあり、本当に始めてよかったです。
今後も続けていけるように、ゆる〜くまったり、収支トントンくらいの商売にできたらいいかなと思います。

私はここ2年くらいで、行動力をほめていただけることが増えました。
でも、私、行動力があるわけではないんですよ。

3年くらい前までですかね、ご存知の方もいらっしゃると思いますけど、私はひとさまのツイートに気軽にいいねすることさえもできなかったし、自分からリプ・フォローなんてとんでもない、とても無理でした。
「私が何かしたら、『うわっこいつからいいね来たよこわっ』とか思われるんでは……」って考えてしまって。
それはもうだいぶ治ったんですけど。

今でも、コンビニに行ってレジのご担当が店長さんではなくアルバイトの方であると、「ファミチキを頼みたいけれども、頼んだ場合、取り出しに行くのめんどくさかろうな……この売上が給与に直結するわけでもあるまいし……」と考えてしまって、ファミチキが頼めない。
あと、ねじろのご近所さんとかちあってご挨拶するとき、めちゃくちゃ緊張する。だからあんまり外出ないし、一人の時はドアも窓も閉めて存在を消している。

客観的に見れば絶対に考えすぎであって、私以外の人間がそれ言ってたら「そんなわけないですやんか、みんなアナタのこと好きですよ、気楽にやったらええんですよ……!!」とハッキリ言えるんですけど、こと自分となると「自分が世界に対して何らかの関与をし、わずかでも影響を与える」という行動が、全体的に無理なんです。
今もなお、「前よりはまだマシ」「ちょっとずつチャレンジして慣れていく」を少しずつ積み上げてる途中でして、まだ無理案件いっぱいあるんです。

だから行動力としては、どちらかというと、「ない」なんですよ。

行動力があるんじゃなくて、「やりたくなったら、がまんしきらん」なんですよね。

「行動力」って、ざっくり言うと外に向かうパワーじゃないですか。
私の場合、あんまり外に向かってないんですよ。
むしろ内に内に鬱屈を溜め込んでいくタイプのパワーなんですけど、そのパワーをためとくハコがとても小さいんで、すぐモルンッってはみ出すんですよね。
そのはみ出したやつが一見「高い行動力」に見えてるだけで、実質はものすごく内向き、あのー誰も信じてくれないんですけど私わりと小さい頃からシャイで引っ込み思案なんですよ。まじで誰一人として信じてくれないですけど。

だから、事業立ち上げたはいいものの、出来ることと出来ないことのバランスがとても悪いです。
「それが出来るのにそれは出来ないの!?!?!?」が多い。「おお〜、やっぱりわし発達障害やな〜」と、あらためて実感します。

でもねえ、発達障害の特性にあたる部分を、こう、アドバンテージとしてうまく使う方法がたぶんどっかにありそうな気がしてるんですよね。

一個思ったのは、シンプルに「年をとってみる」というのがひとつの方法としてあるかなと。
年齢とともに、周りも自分もライフステージが変わっていくじゃないですか。

高校生時代から20代後半にかけては、私はみんなが当たり前に出来ることが出来ない、いわば「社会人の下位互換の、何かしらの生き物」みたいな存在でした。
けっこう、ひどい暮らしをしていましたよ。自己評価もかなり低かった。
このときの私が「発達障害をアドバンテージに!」なんて聞いたら、たぶん、「それが出来るのは一部の天才だけやボケェ」「こちとらガチのポンコツやケンカ売っとんのか」と泣きながらブチギレていたと思いますね。

でも今、たまにではありますが、ちゃんとレールに乗ることが出来て順当にライフステージを更新してきた周りの方々から「その発想や行動力がすごい、羨ましい」と言われるようになりました。

一回「そんなもんなのか〜」と思ったお話をいただいたことがあるんですけど。
ある人は、「本当はやりたかったこと」を押し込めてレールに乗ることが、能力的に、ある程度出来てしまったんだと。
そして、「当たり前の暮らし」を正解と信じて、順当に進んできてしまったと。
今になって、私を見てるとどうも「本当はやりたかったこと」をフツフツと思い出してしまって、「もしかしたらもっと色々やってみてよかったのかも」っていう思いが出てきた、と。

なかなか、「どれが正解だ!」といい切ることは出来ないんですけどね。
俗に言う「一般的、当たり前と定義されている暮らし」というのもとても素晴らしくて、尊いものなので。

でも、「出来ない」ということを一種の能力・ひとつの可能性であると捉える、そういうやり方も、たぶんできるんですよね。
社会は、だれかの「出来ない」によって、よりよく更新されていくので。

今30〜40代くらいの、「レールに乗って生きることを特に強いられてきて、ふるいにかけられるように生きさせられた年代」ってあるじゃないですか。
その年代の自由、今からでもちょっと取り戻したいなっていうのは、今後の展望としてありますね。
まだ具体的な方法論は見つけきれてないんですけど、できればねじろを通して。

何のはなししてましたっけ。

あっ、行動力でしたね。

行動力なんてね、なくてもいいんですよ。別に。
私見てくださいよ、ろくなことやりゃしねえんだから。

でも、人それぞれの特性みたいなの、活かしきれる社会だといいね。
私はこの無鉄砲を生かしてなんかすることにしますよ。

また。