なんか楽しそうな人

私は、自分のことを「不勉強であり、どちらかというと低廉であり、でもまあ楽しそうにやってるし時々まぐれ出るし、いいんじゃない?」と思っています。

「不勉強」とは言っても、たとえばねじろ創業の時であれば、創業や経営の本などは一冊も持ってない読んでない状態ではありますが、必要なことは全部自分でググりながら、何をどの順番でやったらいいかを調べ上げて一人で各種の書類を完成させました。
本はですね、当たり外れが大きいし、情報がすぐ古くなっちゃう。本の中のどこに欲しい情報が載っているか探すのも一手間。
その点、インターネットで探すというのは便利がよいです。ピンポイントでほしい情報が手に入りますし、当たり外れは本よりも大きいものの、見分け方を分かっておけばハズレはすぐわかる。万一ハズレても時間が無駄になるだけで、無料。本文検索もらくらくです。
読み物は本が良いけれど、調べ物はなんといってもネットに限る。

ちょっと話がずれました。
なにしろ私の能力は、全体的には「平均点〜やや上下」、そしてポイントポイントに「ド赤点」があるような感じです。

……と、いつも言っているのですが。

最近、私の言う「平均点」というのが、それはほんとうの意味での平均点ではなく「わたしが考えた最強の『ふつうの人』」という架空の人物像なのではないか、と思うようになってまいりました。

私は何せ本を読まない人間ですので、短絡的に自分に対して「不勉強」というレッテルを貼ってきましたが、よく考えると本当に不勉強なヤツは一人で創業して一人で金融公庫にお金借りに行って〜って出来ないよな、とも思ったりしまして。

ただ、私の場合は「実際にやらないと理解しきれない」というのがあって、座学で話だけ聞いてもあんまりピンとこないという低廉さはやっぱりあります。
言ってることの意味は理解できるのですが、実際にやってみて、つまづいて、そこを調べて、噛み砕いて、改善して、解決して、そっから次。 という実践を踏まえないと、「どの部分をわかってないか」がわからないのです。

私なんかはね、必ず実践をしてからじゃないと「わかった」って言えないんです。
座学だけでは全部わかりきってないのにわかったような気がしちゃうんですよね。だから、その段階で「わかった」とは言わない。「わかったような気がする」くらいは言うかもしれませんが。

なんか、わかんないの、好きなんですよ。
わかんないものが、調べることによってだんだんわかってきて、でもそこがわかったことによってもうひとつ向こうのわからないに出会ったりとか、するじゃないですか。
だからこう、どんなにわかっても永久に「わかんない」のままなんですよね。
そこを以て、「私は不勉強で低廉である」と言ってる。

自信がなくてそう言ってるわけではなく、わかんないのが楽しいんですよねえ。

わからないことに焦りを感じない。

おめでたいことです。

元気な女の子ですよ!

また。