性格が悪い人は好きじゃない話

この話をするときに、この文中における「性格が悪い」を定義しておかなくてはなりません。

ここでは単に「性格や考え方に癖がある」ということを指しているのではなく、たとえば、下記のようなことです。

・人が本気で嫌がっているさまをみて面白いと感じ、過剰にからかったり、人が嫌がる状況にわざと持っていく
・自分の存在や地位を確立するときに、他者を貶める言動をとって相対的に自身の立ち位置を上げる
・憂さを晴らすときに他者を使う傾向がある
・「裏表のない、竹を割ったような性格」の定義を履き違えている
・言論の自由を履き違えている
・「俺/私性格悪いから(笑)」で許さない人を、話のわからない固い人だと思っている

などです。

先に注釈をしておくと、なんにも意見を言わない・言っちゃいけない世界なんぞ、あってはならないしとんでもないことですよ。

だけれども、
「普通言えないことをはっきり言えちゃう俺/私」「切れ味するどいSっけのある俺/私」に酔っぱらい始めちゃったなこの人、と思ったら、私は距離を置きます。

それは、世界には「他者」という自分と別の自我が存在し、それぞれが個々に固有の感情を有しているということを、うまく認識できなくなっている状態だと思うからです。

インターネットだと特に、顔が見えないからなのか、個としての他者を認識できない状態に陥りがちだと感じます。
インターネットは、間違いなくすごく開放的な「公共の場」であるのですが、これを自分の家で独り言を言っているように錯覚してしまい、多くの人が傷つくであろう、言わなくてもいいはずのことをぽろっと投稿してしまうケースを見受けます。

また、Twitterなどの短文投稿型のミニブログ等では、口頭やLINEでの会話のようなスピード感で、投稿内容をあまり吟味することをせずに全世界に発信をしてしまい、後悔したり、トラブルになるケースも有るかと思います。

本来でいえば、拡散等により不特定多数の目に触れ、さらに140字という限られた文字数であるからこそ、ブログ等に比べていっそう言葉や話題選びに慎重になる必要のあるツールのはずです。

「切れ味のするどい投稿をして一目置かれたい」「誰かを言い負かしてやりたい」が先行してしまい、そうした思慮が抜け落ち短絡的に発言したとき、またそれが癖になってしまいそうした投稿を重ねてしまったとき、口頭と違ってログに残るインターネットでは人間性を疑われる事態にもなりかねません。

法に触れるレベルでなければ、言ってもいいとは思っています。

ただしその自由を行使するのであれば、見た人がそれに疑問を持ち批判する自由を否定したり、批判をする人の人格までも否定するようなことは、あってはならないです。

私個人の感覚でいうと、何においても喧々諤々の喧嘩寸前の意見交換はあまり好きではありません。
馴れ合いと言われようとも、認め合い、いいところを褒めたり評価したりすることでお互いを高め合う関係性を、私個人は希望しています。
私は、自分や自分の好きな人達の名誉を傷つけられたときだけ、吠えたいです。

シンプルに、きついことをいって人が嫌そうな顔をしているのを見るのは悲しいし、そんな嫌な思いをさせるようなことをわざやって面白がったり、自分が一段上に立ったように思い込むのは、いやです。そういう自分で在りたくないです。

そこには私が人に嫌われたくない、悪く思われたくないというずるい八方美人のような思いもあると思います。陰でそう書かれたこともあります。
けれども、誰かにそう思われたとしても、人にわざわざ嫌な思いをさせるのは、私は誰がなんと言おうとどうしてもいやです。

散々人に迷惑をかけ続けて、もうこれ以上人に嫌な思いをさせるのはごめんだ、という思いからです。

暴論で自分を持ち上げて他者を貶める、そんなものは意見交換でも議論でも問題提起でもなんでもなく、ヤンキーのメンチです。
かっこよくもなんともないです。私にとっては珍走団の騒音でしかないです。
ただただ、不快です。

ただ、そんなヌルいいい子ちゃんなのは性に合わない、という向きの方もいらっしゃることは理解できるので、そこで「棲み分け」が好ましいわけじゃないですか、というのが現状の私の見解です。

その「棲み分け」という部分を、「自分以外の場所にいる人を卑下し、ディスる」に変換して発言・行動しているような人を、私はこの文中で「性格が悪い」と表現していて、且つ、嫌いなんです。

周りの人が何を頑張って、何を捨てていたとしても、関係なくないですか?
なんでそこで「これが出来ない人」ディスを持ってくる?
それ、いらなくないですか?

「自分はこれを心がけてます。おすすめです。」
それだけで発言を終えることができない、その理由はなんですか。

「努力してないダメな人に比べて努力している自分すごいでしょ?」っていう酩酊にはまり込んでないですかそれ。
本当に世を憂いて言ってますか。

自分を肯定するときに他人を蔑まなきゃ気がすまないような人、私は、きらいだ。

他人はあなたの踏み台じゃない。
自分の実力で自分を誇示すればいい。
できないなら、それがその人の現時点の実力であって。
自分が努力するしかないはず。
他者をおとして自分を上げる、その先に何が在るんでしょうか。

すごく疑問です。