シュッとした話

私はものごとにたいしてそんなに強いこだわりがあるほうではなくて、比較的てきとーな方だと思うんですけれど、ただ自分を表現することに関しては、全体的に「誰がなんと言おうと自分の中で絶対にゆずれない様式美」みたいなものがあるんです。

それを一言で言うなら、「シュッとしていないこと」です。

こどものときは今よりももっとシュッとしたくなかったので、音楽会にシュッとした服を着せられて出かけさせられたのがものすごく嫌で、上から普段着を着て壇上にあがったものです。

見るぶんには、シュッとしたもの自体は好きなんです。
たとえばこう、おしゃれな、モノトーンでほっっっそい字の英語のロゴで、クリックしたらファ〜と出てくる感じの。
あとなんか、部屋に飾ってる時計がなんか針しかないみたいな、あとなんやろう、ほっそ〜い熱帯魚、と、なんかちっちゃいえび、すごい、おる。

「カッコええなあ〜!」って思うんです、見ているぶんには。

ただし、自分を表現する、自分の身にまとう、そうなったら話は別です。

私が私を表現する場合は、シュッとしたくないです。
ちょっとでも背伸びしてカッコつけて、「ちょっとシュッとした感じ出したろ」とか頭をよぎったら、それはもうその時点ですっごくカッコ悪いです。

なぜかと言うと、私は本質的に、シュッとしていない人間だからです。

カッコいいし評価されているから、といって飛びついて、ガワだけビシッ! シュッ! としたところで、ナチュラルボーンシュッとしている人には絶対にかなわないし、シュッとしていないことは見る人がよっぽど鈍い人じゃない限り自分で思うよりバレているし、そもそもシュッとしていることが必ずしも優れているわけではないじゃないですか。

シュッシュシュッシュやかましいわファブリーズかお前と思われていそうなので、「シュッとしている」言うのそろそろやめますけど、そうですね、途中から「シュッシュシュッシュやかましいわファブリーズかお前」が言いたいがためにわざとシュッシュシュッシュ言っておりましたことを、深くお詫び申し上げます。

だからまああれです、「こうあるのが正解で、そうじゃないのはダサい」というのはもう、ナンセンスだよという話でシュッ。

シュッ。

ファブリーズは除霊に効くそうですよ。
私は幽霊あんまりしんじませんけど。見たことないから。
なんか生霊が一番怖いらしいですよ。

シュッシュ。

ばいばいびー。