音楽界隈正直ちょっと見ててしんどいみたいな話

昔から、絵を描くことと、歌を歌ったりリズムにのったりすることが好きでした。

音楽は、専門学校で音響を専攻したときに理論と聴音の授業とらないといけなくて、理論ちょびっとだけかじったこともあるといえばあるのですが全く覚えてないのです。
また、絵に関しては完全に独学です。誰にも習ったことがありません。

学校の部活でやるミュージカルのコーラスとかではない、ポップスやロックなどのコンテンポラリーミュージックに積極的に触れるようになったのなんて、やっと高校生からです。
きっかけは焼き鳥屋で流れていたバンプのハルジオンです。すごくいいなと思って、兄貴が音源を持っていたので帰ってから借りたのを覚えています。
私のポピュラー音楽史はここから始まったと言って過言ではありません。

今、「バンプかよ(笑)」と思った方に、非常にたいせつなお話があります。

ここで「バンプかよ(笑)」と思った方は、おそらくたとえばラッドウィンプスであったり、そうですねAKBとかエグザイルとか、あとは……ワンオクとかでしょうか、そういうものを聴く人に対しても、同じ感情を持ったのではないでしょうか。

ではこれが、キムヨーソイだとどうでしょうか。
オウテカだったらいかように感じましたか。
美空ひばりは。
ブラームスだったらどうですか。
アレサフランクリンでは。
ニルヴァーナだと。

「何にピンとくるかで、カッコいい・カッコ悪い、気取ってる・ガチ、そういうランクづけが存在する」っていう概念じゃないですか、それ。

私は、ネットに自作の曲を流すことが一般的になった頃合いから、音楽をやる人たちの間になんとなく、「これがカッコいい、これを聴いていることが正解、それ以外はダサい、偽物、感性が馬鹿」というような、なにか上下関係のような空気の流れを感じています。

これについて、色々と考えさせられる出来事も最近ありました。

結論から申し上げますと、私の意見としましては「聴いている音楽で人を見下しアピールような人間性の者に見下されるほど、馬鹿ではありません」となります。

内心でどう思うかは、人の勝手です。自分しか見ないノートにこっそり書いたり、絶対に誰も聴いていないところで気の合う人と勝手に盛り上がるぶんには、それは人の権利でしょう。
私の大好きな五十嵐さんでも、「クソみたいな音楽をオペするのが嫌で音響をやめた」というのをインタビューで読んだことがあります。
また、節度のあるわきまえた言葉選びで、フラットに読める意見として発言するぶんには、多くを知りたいと思っている人々にとって非常に価値の高いものとなるでしょう。

ただ、見下す感情をことさらに表明したり、あるいはそうした誰かを見下すような主張に共鳴・拡散してしまう人とは、私はつながりを持ちたくありません。

いっぱい色々考えましたが、やっぱり私には、そういうのは「自分は特別な、ある程度のレベルに達した存在である」というのを確認する手段として他者を貶める方法を取っている、というふうに感じます。
音楽や芸術が、誰でも簡単に触れて作って楽しめるポップなものになるのが嫌なのは、その為ではないのかと。
やっぱり私は、そういうふうに思うのです。

絵の世界だと、あんまりこれを感じないんです。(たまーーーにはいますけど)
たぶんなのですが、日本、漫画文化があるんでお絵かき上手な人多いじゃないですか。
絵というもの自体がすでにポップであって、「頭一つ抜きん出たカッコいい自分でありたい」という動機では描いてない人が多いんじゃないかなあ。

一部の音楽界隈さあ。
いやほんとにあくまでも一部ですよ、一部ですけど。
冒頭で「バンプw」って思った、そこのあなたですよ。

ちょっとさあ、「小さい頃から洋楽聴きまくってた俺」「一味違う俺」みたいな、浮世離れ感をプライドの拠り所にしすぎじゃない?

それこそ、ファッションじゃないですか。

もう、音楽自体、十分にポップですよ。
「人としての特別感」その道具として音楽活動・音楽鑑賞、っていう時代、もう終わったんじゃないかな。
出来ることは、格段に増えました。なので、今までよりもっともっと、「技術的に何をしてるか・何を出来るか」じゃなくて「根本的に、人としてどのように興味深いか」が問われる頃合いなんじゃないのかなあ。

私は、あんまり作品と人間とを分けない考え方です。
これはすごく人それぞれ考えがあると思いますが、私はそうです。
例えばコーネリアスなどは、曲より先にエピソードを知ってしまったので、ちょっと今後も聴かないかな。とか。
かたくなに避けることはしないかもしれないですが、手にはとりませんし、デザインあもわざわざは見ないかもしれないですね。

お薬に手を出してしまった、とかは、人間性とはあまり関係ないと考えています。
ただ、自分がやったひどいいじめを武勇伝みたいに語ってしまうのとかは、そしてそういう人が作った作品っていうのは、ちょっと私は……。

そういう考え方は、私はします。

なぜかというと、私は「芸術は、人間が介在していないかぎり、成立しない」と考えるからです。

人間がつくるものはもちろん、人間ではなく自然が偶発的に作り上げたものであっても、それを受け止め何かを感じる受手としての人間が存在しなければ、それは芸術ではなくて、ただ単なる「存在」でしかない。という考え方に基づきます。

アーティストははみ出しもの・クズじゃないとダメみたいな時代は終わった。
やさしすぎて通用しなかった人たちが、これからきっと、続々と来ますよ。
それが出来る時代です。
やさしい人のそのやさしさを、ちゃんと見てもらえるっていうチャンスがどんどん増えています、人間としてのやさしさがちゃんと評価される時代になってきたし、もっともっとそうしないといけないと思います。

前も書きましたけど、不器用と意地悪は違います。

私はそう思ってます。

また。