病気にもなれない健常にもなれない、自称とかエセメンヘラとかよばれる、ひとたち

グレーゾーンっていう概念がなくなればいいな。と思います。

私は、自分の生き辛さについて「エセ」とか「自称」とか「甘え」とか、ひどければ「詐病」とまで扱われている人達を見てきて、自分もその扱いをされるのではないかと怯えて、自分を隠して活動していました。

グレーゾーンにいる人は、そんなものは存在しないかのような扱いを受けてきました。今も受けています。
盛大に病気か、まったく病気じゃないか、どっちかじゃないと人間として認めてもらえません。

たとえばうちの場合は、主人も私も「そこまで大した事ないから大丈夫」ってほっとかれて、結局破綻をきたして、警察沙汰になったことがありました。
「病人とまではいかないです。だから健常者として頑張ってください」の結果です。

そもそもね、グレーゾーンっていう言い方。
いや言いたいことはわかるんですけどね、なんで白か黒かの二色のグラデーションで語られてるのっていう。
わかりますよ、言葉のあや、ですけど。

要は「病気か病気じゃないかっていう軸でのランキング」ってことでしょう?
病気、あるいは障害っていうモノクロに変換した時の、濃淡のこと。

でも、実際はだいたい色の人もいるし、青い人もいるし、レインボーな人もいるし、その中でも濃淡があったり、明暗があったり、なんとも表現しがたい中間色だったり、いろいろだし。

だからそもそも個人個人、スタンドアローンで考えていいはずなんですけど、それだと困るのが「俺様は病気だぞ、一風変わってるんだぞ、すごいだろう!」っていう威張り方をして、それで何らかの利を得て生きてきた人ですよ。

「自分のすごさ」という土台がゆらぐ話なので、その時代の変化にものすごく反発しているのが見てわかる。

健常者っていう軸に無理して合わせないとメシ食うお金が稼げない、だから胃に穴開けて仕事して血反吐を吐いて、どどめ色のゲルの中で息もできずに生きている人が、ほんのちょっと助かるだけの話なんですよ。
中間の苦しさが認められ、個々が生きやすい暮らし方が許容される世界というのは。

病気を凶器にして生きてきた人は、そんな追い詰められている人を見捨ててでも「一風変わっている自分」を守りたいのか。

おこやで!