絵とかにまつわる考え事

ものづくりに対する向き合い方というか考え方というか、在り方・姿勢っていうんですかね、そういう事柄をよくクルクル考えます。

と言っても、私の場合はあまりひとつの考えに固執しすぎないようにしようと思っていて、その時その時に思ったことを思ったようにやってみるというスタイルをとっていますから、都度都度、言ってることややってることが変わったりはしていっています。

一応芯の部分にあるのは、「やりたいなら、やる」「楽しむ、面白がる」でしょうか。
ありがちなものでも、逆に突飛すぎて反応無いだろうな〜というものでも気にしないで、「やりたくなったらとりあえずやってみる」は心がけています。
やりたくなったらやらなきゃ気が済まないだけ、とも言えますが……。

でもなんかこう、「じゃあ、見る人を一切度外視するのか?」「否」「では、どこまで意識して、どこから度外視する?」っていうのも、ひとつこれはどうしたものかと、考えがうろちょろ致します。

たとえば、先日描いたコーヒー屋さんの絵画コンテストの絵、最後に背景をコーヒーで塗ってやろうと思ってたんですけど、よく考えたら自慢のコーヒー出してるお店でちがうお店のコーヒーのニオイするのやだよなあと思って、やめたんです。
なんか、ちょっと我が出すぎたなあ。。。ドヤ顔しようとしてしまったところあるなあ。。。と思い、まあでもやる前に気づけたのでよかったんですけれど。

だからこう、その時作るものが自己表現であるのか、誰かに向けたものであるのか、そこの線引きもいりますよね。
その作品があくまでも自己表現を目的としたものであるのならば、徹底的に自己満足と独りよがりを極めまくって自分以外の何も気にしないで作ったほうがいいでしょうし、誰かに向けたものであるのなら、サービス精神と言うか、気遣い、心配り、訴えかけるもの、何が言いたいかをちゃんと打つ、みたいなところを意識していったらいいのかな。

結局やっぱり、なんにしても、よくよくイメージしないとだめですよねきっと。
「今作っているこれは、いったい何なのか」っていうのを。

でもそうかと思えば、なんも考えずに描いたIQ不要ならくがきや、ちょっとした遊び弾きから生まれる素晴らしいものもあって……

うーん、そもそも正解のないものに答えを見出して安心しようったって、そうは問屋が卸さない。

しがみつける岸など最初からなくって、いつもフワフワ、ぷかぷか、ぐるぐる、うにゃうにゃ。ああでもない、こうでもない、あっちか、いやこっちだ、自問自答の繰り返し。そりゃあ不安定にもなりますよねえ。
そういう自由選択の厳しさはありますよね、芸術関係には特に。

でも、ああでもないこうでもないと考えながらあれこれやってみるのが結構楽しくって、私なんかは好きなんです。
「わからんけどとりあえずやってみる」って、実験みたいで、楽しいじゃないですか。
失敗して爆発頭になるときもあれば、ごくまれにするっと思ったとおりになる。
でも、すんなり思ったとおりになると、なんかちょっと面白くないなあって思っちゃうんです。それだったら多分私、絵も歌もやってないんじゃないかなあ。

実験失敗したらなんで失敗したか考えて、修正してやりなおして、たまにマンネリしたりもして、あーだこーだして、右往左往して、っていうのが楽しいんですよね。
時々、失敗は失敗なんだけども、どう考えても面白い以外の何物でもない失敗の仕方したりして、一人で大笑いして。
私なんかはバカでのろまでぶきっちょなので、大体いっつも失敗で全然思い通りにならなくて、でもそれがすごくいいんですよ。そうこなくっちゃつまらない。
それだからやめられないんです。絵も、歌も。

ううむ。
どれだけ色々考えても結局「やりたいようにやるぞー」に収束してしまうんですよねえ。
すごい頭わるい人みたいだなあ。
いや実際頭わるいんですけどね。
数学で30点以上取った記憶ないもの。

きょうも、なんかしよー。
うふふん。