うつが治ったら絵がかけなくなるんじゃないかと思っていた話

精神的に楽になってしまったら、私は絵を描けなくなるんじゃないかと、思っていました。

この苦しさが治ってしまったら、腑抜けて、絵を描く必要なんかなくなって、衝動も消えて、何も考えないで呑気にふらふら生きて、当たり前みたいな人生を滑空してゆっくり死んでいくんだと。

でも、そうでもなかったな。
苦しい時の絵は、いまよりずっと色の彩度が低くて、ぐちゃぐちゃしていたし、書きなぐるように吐き捨てるようにしか描けなかった。
あるいは、魂のこもっていない落書きばかり描いてた。

それが長かったので、自分はそういうものなんだと思ってた。
ここが暗いトンネルだとも思っていなくて、鬱々とした閉塞感も、これが世界であってこういうものだと思ってた。
業が深い人間だから、その罪を償ってひっそりと生きていかないといけないだとか。けっこう本気で思ってた。
人生のことを「贖罪の余生」と言ってた。
高校生ぐらいのころから、30歳すぎるまで、ずっと。
27歳で死ねなかったどころか結婚しちゃったのも、罪悪感でしかなかった。自分の罪も忘れてお幸せですか、へぇ〜、って自分を責めてた。

でも、そういうひずみみたいなものが絵の原動力になっている実感があった。
それもずるいことだと自責したけれども、人とのズレ、うまくいかない焦燥、罪悪感、葛藤、そういったものは絵のモチーフとしてすごく機能した。

ただ、鬱状態は体力・気力を奪って、最後まで丁寧に描ききる ということはほとんどできなかった。描けない日もすごく多かった。

だけれどもそれを差っ引いても、ネガティブな感情というモチーフは当時の私にとって一番よいものであったし、強い原動力であったし、その時の私にはそれしかなかった。それ以外の選択肢はとれなかった。

だから、苦しくてつらかったので治りたい・楽になりたい気持ちと、治ってしまったらつくる人間として終わってしまうんじゃないかという恐怖みたいなものが、いつも同居していて、しんどかった。
「このつらさに出口なんかないし、もし出口にたどり着いてしまったなら、そこが「私」としての終わりだ」と思ってたところがあります。

死にたいと思わなくなるのが、怖かった。
死ぬしかない、死ななきゃいけない、と厳しく自分を罰すると、ちょっとでも罪を償っているような気分になったので、私はそこにすがって安心していたのかも。
でも実際は死ねなくて、それでまた罪悪感が繰り返して、無限ループだったなあ。
アルコール依存症みたいな感じで、罪業妄想に依存していたのかもしれない。

ここ一年くらいですかね。
軽躁なんじゃないかと少しビクビクするぐらい(違ったけれど)、なんだか楽になって、いろいろ開き直れるようになってきた。まだ途中ですけれど。
そうしたらむしろ、体力がついたのか、絵ともっと向き合えるようになった。

「ろくに働けもしないのに、絵なんか描いてる」「あんなに人にいやな思いをさせたくせに、生きてる」という罪悪感もだいぶ少なくなった。
ごくたまに、寝る前とかに突然思い出してヒーヒー言ってるときもありますけど、頻度はものすごく減った。

人間って変わんないんですよねえ。
楽になったっつったって、今でも電車に乗ったり人混みに出たりすれば人目が気になって気になって、すれ違った人の念ぜんぶ肩に乗せて歩いてるみたいにずっしりと疲れてしまって、とてもじゃないけど長時間なんかいられないですし。
雑踏から笑い声が聞こえたら、自分が笑われているみたいに感じて恥ずかしくなって。
人と関わってみれば、とんちんかんなことばっか言って何か微妙に話噛み合ってなかったことにあとになって気づいて「あ〜〜〜〜〜」ってなることばっかり。
それに、過去の記憶は変わらなくて、たまに気を抜いたときに私を殴りに来るし。

そういう、外から降ってくる苦しさの量は、今も昔もあんまり変わってない。
ただ、自分で自分を苦しめる・追い詰める頻度が減った。

なんか、「わざと自分を苦しめてるわけじゃないのに、わざと自分を苦しめてる」みたいな状態だったんですよ。

事実だけ言うなら確かに「自分で自分を苦しい方向に持っていってるのであって、犯人は自分」なんですけれど、その自責思考がまったく自分で制御できない状態で、気の持ちようとか切り替えとか、そういうレベルじゃなかった。
今思うと、脳のどっかが故障してたとしか思えない。

だから、こう……
何が言いたかったんだか忘れた。

とにかく、苦しい人は変な根性論とか信じないで、とりあえず医者だ医者。
そして変な医者にあたったら容赦なくチェンジだっ

無理しないで済むならそれが一番。

なんかわしおばあちゃんみたいになってきたな。

はやく83歳ぐらいになりたい。