音楽が、絵みたいに「すごくない」にもっと寛容になったらいいなあと思う話

私は、絵と音楽が好きなので、よく両者がどう違ってどう同じかみたいなことを、考えます。

絵って、もはや「ダメ」の概念、ないよなあって最近思うんですよ。
(本当は音楽もそうであると思うんですけれど。)

うまい、へた、はあると思うんです。
それは多分デッサン力であったり、構図や配色などのデザイン力であったり、ていねいな描き込みであったり、そういう、培われた技術。これもすごく大事なものですよね。

でもなんか、ちゃんとした絵なんか描いたことない子供のてきとーならくがきみたいな絵の独特のタッチというのも、中途半端に手が慣れてしまった人間からすると、喉から手が出るほどほしいものだったりする。

絵の場合、西洋一強というわけではないじゃないですか。
日本には日本の固有の絵画文化があって、それが豊かに独立していて自信を持って世界に発信できるレベルであって、西洋絵画の勉強をきっちりしていない、日本内の文化だけで育った人でも、全く問題なく絵を描いていられる。

もちろん、知識はないよりはあったほうがいいですよ。それはそうなんですけど、「ゴタクより作品だ!」が成立して、見る側の人も、作品が好きか嫌いかだけである程度判断できると言うか、バックボーンみたいなものは後付っていうのが、ちゃんとできる。

音楽の場合、やっぱりなんか、「ポピュラーなものカッコ悪い」のパターン、根強いよなあ……と思って。
もっと突っ込んで言うと、「普通の人とは一味違う」「カッコいいスタイル」っていうのにやたらこだわる空気があるような気がするんですよ。

絵って普通の生活しててもある程度目にするけれども、音楽ってJ-POPと一部のメジャーな洋楽を除いては、自分からグイグイ聴きに行かないとなかなか掘り下げてはいけないじゃないですか。
小学校の授業でsyrup16gだのNirvanaだの教えてくれるわけじゃないですし。こればっかりはもう文化としか言いようないと思うんですけど……。

例えば私なんかは、音楽において「この人はうまいのか? ヘタなのか?」がよくわかんないんですよね。よっぽど音外してるとかリズム狂ってるとかじゃないと。
これは好き・これはあんまり、というのはあるんです。でも、ある一定レベル以上の上手い下手はよくわかんない。

人が普通に生活してて、音楽リスナーとして耳を育てる土壌って、あんまりないんですよね、どうにも。

そうなってくると、ゴタクとかスタイルがステータスになりやすくなってくる。スゴそうな事言ってるからこれがスゴイんだろう、が成立しちゃう。
私、それ、やなんですよ。

音楽は好きなんだけども、その「ゴタクですごいっぽいが成立しちゃう空気」が、やなの。

だから私は「すごくない」音楽が好きなんです。
エレカシトリビュートでああいう音源を提出しちゃうシロップであったりとか。
そういう、「すごくない」が出来る人の音楽が好き。

私が見たいのは、「その人がどれだけすごいことを出来るか」じゃなくて、「その人」なんですよ。

なんか、ゴタク合戦や技術勝負や本物のカッコよさ選手権じゃなくて、もっと、なんかこう、すごくなくていいので「ステキなもの」が聴きたいし、それがもっと素直に評価されるようになってほしい。

んーなんかそんなこと思うなあ。やっぱり。