ずるい人は嫌い。ずるい人は出禁。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、私は今、自営業をやっています。
「シェアアトリエ&ギャラリー」という業態で、一日850円で置いてある画材が使い放題というものです。

お商売なので、いちおう利益というものを考えねばなりませんが、どうにもこうにもね、良くも悪くもお人好し。そこらへんシビアになりきれず、ま~~~~金がないことないこと。
ですが、そんなでくの坊を支えてくれる人たちに恵まれてまして、なんとかえっちらおっちらとやっている次第でございます。

ときに、お人好しをやっておりますとね、時折「ずるい人」に出会うことがあります。
うちのアトリエは、ずるい人をわりとサクッと出禁にする傾向があります。というかはっきりと出禁を言い渡したことは一度もないんですが、「お前ええかげんにせえよ」って言ったら二度と来なくなる。

それがどういう人なのか明確に表現しておきます。
気の弱いやさしい人たちに「ねじろにはそういう人はいない」という安心感を提供したい。
そして「ずるい人」には、「ねじろには、お前のような人間に引き渡せるような便利な人間はいません!!!お引き取りください!!!!!」という意図をこめて。

ここでいう「ずるい人」は、「言うこと聞いてくれそうな人」「いいように使えそうな人」にえらく鼻が利きまして。最初はいい人そうな面構えをして近寄ってまいります。本人にすら、下心の自覚がなかったりいたしますね。自分はいい人間であると思っているらしいことが多いです。怖いのは、福祉や医療の現場にもこういう人はわりとうろちょろしてること。

最初は小さなことで少し甘えてきて、それを断らぬと見るや、あれよあれよという間に相手をなめ腐って下僕のように使い倒す。
ある時は愚痴の吐き捨て先として、またある時は小間使いとして、またまたある時は暇つぶしの道具として、またまたまたある時には自分の承認欲求に餌をやるためのサンドバッグとして。
時折、頼んでもいない、大して有り難くもないことをわざわざやってきては、「お礼はしたから筋は通した」とばかりにどんどんエスカレートしてまいります。
自分がやってあげたことだけを覚えていて、やってもらったことはちっとも覚えてやいない。感謝してみせることは相手を飼い殺すためのポーズに過ぎず、相手が精魂尽き果ててついに逃げ出しても何が悪いのか理解しようとせず、むしろ被害者面をして、平気で次のターゲットを探す。

これを、「反撃しなさそうな人」にだけやる。

人生で2~3回ほどこうした人物にターゲティングされる憂き目に遭ったので、最近はいい人ぶりすぎずに、依存される前に切り離せるようになってきました。
私は博愛主義者ではないのですよ。「ずるい人は嫌い」です。

相手を利用していいのは、その利用行為によってその相手にも明確なメリットがあると確定している時だけです。
そういう利用のしあいは、むしろとてもよいことですよ。誰も損しない。一挙両得、いわゆるウィンウィンってやつですね。お商売をやっていると、損得勘定は避けたくても避けて通れません。
「相手にも自分にもなんかしらの得がある」という状態を提供することが「お商売」だと私は考えていて。

「金銭的にオマケしたり値下げしたりする」は、あんまりよくはないんですけど先々に得があったりもするので個人的には今後もついついやっちゃうと思うんですが、「精神的に負担になるご奉仕」を私に強要する人は、わりとスパッと切ります。

最初は、そういうずるい人にもやさしくしなきゃ! 受け入れなきゃ! って思ってたんだけどね。こういうのは、その人だけが悪くてそうなるものではないから。その人に注がれるべき愛情が注がれなくてそうなった、っていうパターンが結構あるから。
でも、「存在を承認されたい」「自分を確立して安心したい」っていう目的を達成するための手段として、他人に苦しみとご奉仕を強要してるわけじゃないですか。そういう人たちは。
しかも、その人の真の問題はそれじゃ解決しない。そういう人にいくらやさしくしても、誰も得しないのよ。本人もターゲットも全員苦しんで、空中分解して、終わり。

それに、ねじろは「やさしいひとが、ずるい人の存在を警戒して心を休められない場」であってはならないって思う。
やさしすぎて、日々利用されたり翻弄されたりして疲れてる人たちが、「あ、ここにいていいんだ、ここの人たちは利用してきたりつけ込んできたりしない」って、一瞬だけでもホッとできる場所でありたい。

だから、ずるい人にはここにいてもらうことはできない。
っていう道を選びました。

そのかわり!
自分でそれを自覚して、それをもうやめたい、やめる努力をしたいという思いがある方は大歓迎なんです。
何度失敗してもそれはしょうがないと思ってる。私の過去だってなん~~~~~~~~~~にも清廉潔白ではない。黒いところしかない。

ただ、それを悪いことだ、よくないことだと思えないうちは受け入れられないのです。
自己正当化してるうちは、だめです。

「誰でも大歓迎」では、ないのです。

こういうところこそ、私がしっかりしなきゃね。ぜんぶ一人で背負うつもりはないが。

でもねえ、ほんとに人に恵まれてる。
びっくりする。
こういう人より、こういう人に利用されてきてもうウンザリしてる人のほうがおおい。笑
変わるべきとされるのが「利用される側の人」なのはおかしいと思ってる。利用してくる奴のほうが悪いと思うから。だから、やさしい人がやさしいままでいられる場所、無理して強くならなくていい場所。そういう場を作ってみる。

せいぜいがんばりまーす。