Don’t捨離

私ねえ、捨てないタイプなんですよ。
ぜんぜん捨てないんです。

コピー用紙に描いてちょっと失敗した絵とかはすぐグシャってして捨てるんですけど、服とか道具とかは、いよいよどうしようもなく使えなくなるまでは捨てないですね。

売るっていうのもしないです。
「手放すか……」となったときにはもう、売れるようなきれいな状態ではない。なので、服なら雑巾になったり、道具なら分解して使えるパーツとっといたり。
「飽きた」っていう理由で手放したことは、いま思い出せる限りでは、ないです。

理由は大きく分けると三つありますね。

一つめは、「愛着」。
二つめは、「マイブームリバイバルに備えるため」。
三つめは、「そんなぽいぽい手放すほど、何も考えずにもの買ってない」。

といいますのも、私は結構生活レベルが低くて、生まれてこの方一度も「十分な収入がある」という状態になったことがないのですよ。ほしくなったらなんでもかんでも買えるわけではないのです。
ですから、ここは私のADHDらしくないところなのですが、何か買うとなったらひとつひとつに入念な検討と先の見通しを行い、最低でも1か月は悩んでから、大きな決心を込めて購入してるんですよ。求める性能をもつものの中でできるだけ安いのをね。
さすがに100均商品とかになってくると判断はもっとゆるいですし、今はシェアアトリエが仕事なんで画材についてはわりと妥協しないで買ってますが、自分用のものについてはね、まあ、貧乏性というやつです。

たとえば、数年前に大奮発して液タブを購入したので、ずっと使っていた8000円ぐらいの板タブはお蔵入りしました。
でも捨てないんです。端子が壊れかけてたんですけど。こういうときに捨てない。ずっと部屋の隅にありました。
するとね、今になってふたたび役に立ってるんですよ。たぶん2~3年使ってなかったんですけど。また日の目を見た。
まだじゅうぶん使えるからという理由でとっといたら、役に立つことがあるわけですよ。

そのエピソードを持ってる機材や道具が、私の身の回りにはあまりにも多いんです。
「いいものを選んで買ってずっと使う」というのともちょっと違って、「わりと安いものを買って、自分で直したりアレンジしたりしてこれでもかと使い倒す」という、もっと意識低いやつです。

あと、何かやりたいことが発生したときに「そのための設備セットをガバッと新規購入する」ではなく、まず「既存の設備で工夫・代替してやってみて、それで最低限これは要るなと思ったパーツだけを新規購入する」という選択肢をとるくせがついているのですよ、なにしろ貧乏だから。
そうするとね、断捨離なんかやってたらそれができなくなるので、非常に困るんです。
「あっ、あれ持ってたのに捨てちゃった!」が頻発してしまうんです、私の生き方だと。なので捨てない。

定期的に断捨離するってことは、それだけ無駄なものを買いすぎてるということだと思うんですよね。
そこを直したほうがよくね? 金の無駄ですやん? という考え方を私はしています。
自動的にいただき物が増えていく、とかなら断捨離の必要性もわかるんですけどね。

パソコンとかいじってると思うんですけど、世の中のスピード感というかサイクルがすごく早く感じて、たまについていくの疲れちゃうんですよね。
決して山奥で電気なしの暮らしとかしたいわけではなくて、現代において一般的とされる暮らしでいいんです、私ネットないと何もできないから。
でもね、なんかまわりの「買って、使って、手放して、次! 買って、使って、手放して、次!」のサイクル、はえ~!!!!!! ってびっくり仰天しちゃうんですよ。
SDGsとか別に興味あるわけではなくて、単純に、みんな生きるのうまいなあと思って見てる。

新しいものを手に入れると一時的に高揚するけど、個人的にはあまりそれによる報酬感ってなくて、ずっと使ってるものを使う安心感、それを自分なりにカスタムしていくわくわく感のほうが好きかも。

報酬感、そうだな、報酬感のために人は次々に物を買ってしまうのかも。
私はたまたまそこがツボじゃないというだけかもな。
たぶん私は、「キノコさんいろいろ工夫しててすごい!」って言われることのほうが報酬なんだろうな、脳みそ的に。

ミニマリストの逆ってマキシマミスト? マキシマムリスト? マキシマリスト?

そういうのじゃなくて、単なる「ザ・日本人」だと思いますけどね。教科書みたいな日本人気質だと思う。私。良くも悪くも。

というわけで、ねじろはガヤガヤ。たのしいよ。

きてみてねー。