豚汁大賞受賞

タイトルには、いよいよ意味がないです。
おはようございます。

最近、家にいるときはだいたい絵を描いていますけれど、絵を描く机とパソコンの机を分けたら、私はひとつのことに集中などまったくしていなかったことが、よくわかりました。

無意識に、描いちゃーパソコン、描いちゃーパソコン、を非常に細かいスパンで何度も何度も繰り返していたみたいです。
今はパソコンがないので、描いちゃー「あっパソコンがない」描いちゃー「あっパソコンがない」になっています。
自分が思っているほど、「ただひたすら絵に没頭」というわけではなかったようですね。

ただ、ひとつのことに集中しすぎるとあとあと大変ですから、ちらちらパソコンに気を散らすぐらいがちょうどいいかもしれません。

でも、自分の裁量で気が散るぶんにはすぐ元の作業に戻れるんですけれど、よそさまに呼ばれるとか、いきなりでっかい音が鳴るとか、着ている服の感じがいやだとか、そういう外部からの刺激で気が散ると、元の作業に戻るのにすごく時間がかかるんですよね。

ばかっぽい〜〜〜。

私は、「いやなことをがまんできない」「好きなこともがまんできない」という自分の性質を、とても幼稚ではずかしく思います。
だけど、いやなことをやっていると、頭がくらくらして倒れそうになって、ひどいと本当に熱が出るんです。
これでも、昔よりは改善され、少しはがまんできるようになったのです。

私はどうしても「楽しい」と思えることを優先する生き方をしないと、健康な精神状態でいられません。
世間一般で常識と言われるさまざまな義務を果たすことに、血反吐を吐いて必死で食らいついてもみましたが、どんどん死にたくなるし、何もうまくゆかなくて、苦しくて何のために生きてるんだかわかりませんでした。

なので、やめた。

ゆるく幸せそうに生きてる人をうらめしく思う人がいるのは知っています。
私は人に嫌われるのがすごく苦手なので、そういう目でみられることがとてもつらいですが、かつては私もそっち側にいただけに、それらを叩いて回るのも心苦しいというか、気乗りしません。

でも、やっぱり私の人生なので。
私は、これまでしんどかったから、もうしんどいのはいや。楽しくやりたい。
世にいう普通をまっとうするのはつらいので、私はいち抜けた。

誰かのためにつらいままでいる、なんてのは、いやだ。

私は、なにもがまんできない幼稚な私のままで、なるべく人に迷惑をかけないで自分も楽しい方法を、見つけます。

そんなかんじ。