統計や前例って、あてにならないのかも

数え切れないほど患者さんを診療してきたであろうお医者先生が、私のシェアアトリエ計画の現状話を聞いて、それはそれはびっくりなすってました。
「は〜〜〜〜!」って。「まさか本当に融資が下りるとは」って。
「障害とか全部オープンにして行ってきます」って宣言してあったので、それで下りたっていうのに随分おどろいたみたいですね。

やっぱり私って、統計とか前例に照らして言うと、そういうことをやるときにスルッとうまくいくであろうタイプじゃないんだと思うんですよね。

障害とか抜きにしても、学歴や職歴なども、決して有利なものとは言えませんし。
見た目もあんまり小綺麗じゃないですし。
あと何よりも、わからん場合には「わからん」って言っちゃうし、知らん場合には「知らん」って言っちゃうし、困った場合にはどこからどう見てもわかるほど困っちゃうんですよね。

つまりは、「あんまり頭よくない人がよくする動きをしがち」なんですよ。
なぜなら私は、見たまんま、あんまり頭よくないから。
印象通りです。

でもその「あんまり頭よくなさそう」って、統計じゃないですか。
統計って、要は「過去」の総括じゃないですか。
私が占いとかをあんまり信じない所以でもあるのですが、その過去の好例にうまく合致できないから、私は現状「障害者」というくくりに入れられてるわけであって。

そして私は、「私ぐらいのはみ出し具合であれば、本来、障害者というくくりである必要はないはずだ」と思っています。
「にもかかわらず、私ぐらいのはみ出し具合でも障害者として福祉制度を利用しないと生きていけない社会の現状は、すみやかに打破されるべきだ」とも考えています。

私の場合、文章だとなぜか、対面でされるような小さい子を相手にするような扱いをあまり受けません。

見た目や所作などで「頭が悪そう」と周りが決めてかかると、本人はそれを察知し、「自分は頭が悪い」と思い込んで、無意識にそう振る舞ってゆくという部分もあるのではないでしょうか。

私は、「だから、ナメられないように頭が良さそうに振る舞おう」とは思えません。
人を、氷山の一角に過ぎない振る舞いや、自分の中だけでの統計で人を「頭悪そう」だの「育ち悪そう」だのと決めつけるほうが頭おかしいと考えているからです。

一例として、歯並びです。
歯並びが悪い人は育ちが悪く頭が悪い、よく言われてることですね。
さて、私の歯並びは、いいでしょうか悪いでしょうか。どーーーーっちだ。
この文章から見て取れましたか?
弾き語り動画のときとかに顔だしてるから知っている人にはバレてますけどね。

これは私の意地であり反骨精神なのですが、私は誰に何言われても俗に言う「ちゃんと」はしないし、「私はちゃんとしてないけど、やることやってる」ということをいちいち表明してゆきます。
なぜなら、人はどうしても前例に左右されるものなので、だったら新たに前例をつくりたいからです。

こうしたことをいちいち発信していく人に対して「お気持ち表明w」みたいな揶揄をされる方もどうしてもネット上にはおられるんですが、正直それって「自分は何もせずに、相手を下げることによって自分が一段上に立った気分に浸る」という自慰行為なので。
私がなにか言われてるわけじゃないのですが、私宛じゃなくても、あんまり見せられるとちょっと気分下がるのでワードミュート機能なんか活用したりしてますけど。

そういう人も、何かに夢中になれたら多分、人を揶揄して自分を慰めてる場合じゃなくなると思うんですけど、なかなかそういうわけにはね……。
その人ばっかり悪いのでもないですしね。周りも周りですよ。そういう状態の人にとっては「居るのに居ない」が一番苦しいんだから、周りにいる「まだ憎まれてなくて、かつ元気がある人」が、静観ばっかりしてないでちょっと声かけてあげないと。

話がそれましたね。

みんなもうちょっと心穏やかに暮らせる社会だといいねえ。

私は個人的に、政治云々の前に人間が変わらないとまったく意味がないと思ってます。
もちろん政治に対してだって多少「そんなぁ〜」ぐらいは思いますけどね。
でも、社会を作ってるのはあくまでも人です。
福祉制度が充実して生活は成り立ったって、周りの人に変な目でじろじろ見られることが変わらないなら、苦しいのはずっと続きますから。

ちょっとずつ出来ることをやっていきましょうかね。一気には無理ですから。

いい人っぽいブログになってしまい、とてもはがゆいので、最後に申し上げますが私は痔です。

痔・エンド。