多分自分の話は面白いと思っているんだろうけれども面白くない人の話

コンビニでバイトしていた頃にも、接客ではない仕事をしていたときにも、ずーーーーーーーっと一定数いたんですよね、タイトルのような人。

別の言い方で表現すると、「会話というものについて、知識量やテクニックを使えば自分が主導権を取れると思っている人」または「会話の相手をブログの新規投稿画面だと思っている人」とも言い換えられると思います。

後者はまだいいわ。
前者ですよ前者。
好かん。じつに、好かん。

そもそも、会話って無理にわざわざおもしろくなくてもいいんですよ。
下手でも、別にいいと思うのです。
だって、私は会話、へたですから。そんなにすごくおもしろいことも言わないですし。

そうは言っても「会話がうまくなりたい」と思う人もいると思うんですが、その理由が「人に迷惑をかけたり、変な目で見られるのがもう嫌だ」ならば、タイトルのような人にはあんまりならないような気がするんです。
動機が「モテたい」とか「一目置かれたい」の奴がだいたいタイトルみたいなことになってますね。

私は、あんまり「自分はコレを知っててこれが出来て〜〜」っていう話、したくない派なんですね。
身の丈以上に出来る人だと勘違いされると、あとあとめんどくさいから。

そして、私は化粧もしないし髪はボサボサ、服装も地味でおんぼろ、体型もスマートではなく、いつもヘラヘラしているので、「こいつは物知らずに違いない!」って、上から薀蓄ぶちかましに来たりする前時代的な奴が、ちょいちょい現れるのです。

そういう人って、人の話を聞くにも「傾聴のスタンスを取ることによってイニシアチブを取る」みたいな考え方をしている裏が透けて見えていてですね、実際にはほとんどこっちの話聞いてなくて自分のしたい話しかしてないので会話として成立してないし、話にバリエーションがないから内容も面白くないんです。

私は30歳くらいまでずっと関西で生きていた者なんですけど、関西にも普通にぜんぜんおもしろくない人(それは否定的な意味ではなくて、まじめで引っ込み思案な人や思索にふけるのが好きな人、ゆっくりとした人、超人見知り、人嫌いなど)いっぱいいるんですね。
そして、別にそれでいいわけです。「おもしろくない」それ自体は、なんらデメリットではないと思うんです。喋り始めたらずっとおもしろいまんまの人と話し続けるの、しんどいじゃないですか。
別に、いちいち上手いこと言わんでもええし。いちいち気の利いたこと言う必要もないし。そんなん考えてたら、会話するのめんどくさくなっちゃうじゃないですか。

「話が面白い」というのは、自己顕示の精神ではダメなんですよね。
「どうだ、オレの話はおもしろいだろう」なんて思っているようでは、せいぜい四流、よくて三流くらいじゃないですかね。

「面白い話」というのはですね、相手を楽しませたいというサービス精神ありきなんです。だから、ゆったりしてようが引っ込み思案だろうが、知識量が少なかろうが口が回らなかろうが、そこに笑いがあろうがなかろうが、関係ないと思うのです。

あんまりポンポン話をしたくないタイプの人にとっては、「なんやいうたらグイグイ笑いを取りに来る、面白い話をする人」より「引っ込み思案で、しゃべり下手だけども、なんか波長のあう人」のほうが、一緒にいておもしろいでしょ?

そういうことですよ。

自己を顕示したい人はネットおすすめです。私は自己を顕示したいのでネットにいます。口でしゃべるの下手なのでね、不特定多数に文字で飛ばしたほうが楽です。

でもあれですよね、ツボが合う人とゲッラゲラ笑いながらクソくだらない話するの、おもしろいですよね。
本当にくだらないことしか言ってないと思うんですけど、充実感が半端なものではないんですよ。

あのね、ねじろ半分閉めてるような状態なのでね、ひまなんですよ。
ブログ更新しちゃうんですよ。ひまだと。

絵ー描けよ。

えー。

おあとがよろしいことに気づいてください。

また。