「ニッチな場」を量産して、つくる人がみんな評価の対象になれるようにしたい話

上記のブログで書いたsyrup16gのカバーオンリーのオープンマイクイベント、無事に会場さんもおさえることができました。

これで、開催日と開催場所、おおまかなタイムテーブルが公開できる状態となりまして、開催が俄然具体的になり、ワクワクもひとしおです。

私はもともと、どちらかと言うと自分が演者として、前に出て行けたら嬉しいなと思うタイプでした。

気持ちはそうなのですが、自分から手を挙げてグイグイ前にいく勇気は持ち合わせておらず、また、自分から行かなくても自動的に大勢の方が大枚はたいて私を選びに来てくれるような強烈な魅力があるわけでもなく、演者としては自分が満足するほど目立つことはありませんでした。
(いや、過去形で書いたけど、まだ終わったつもりは全くないですが)

それを、なぁんかこう、「自分みたいなもんはこの性格だし、技術もこんなもんだし、まあこれぐらいで御の字だろう」と諦めて、その状況を正当化するためにいろいろな理屈を並べ、これでいいのさと思い込もうとしている部分がございました。

「本音言うと目立ってみたいんだけど目立てない」というのが自分だけだったら、そこでなんかふわふわっと納得して、終わってたかもしれません。

が。

この世には、めちゃくちゃいいものをつくるのに、そしてご本人も心の奥にはひとさまに評価されたい気持ちを隠し持っておられるのに、なのにどうしても目立ってこない、そんな人が多すぎる。

「場」が、少なすぎる。
そう思いました。

なんかこう……
「遠慮がちで、引っ込み思案で、過剰に空気読めちゃう人」って、グイグイ行けるやつが勝つ弱肉強食みたいな世界では、どんどんどんどん譲っちゃって、うしろのほうでニコニコはしてるんだけれども、なんかさびしそうにしてる。

「ほんとは、私の絵もみてほしかったな」

優しい子って、それも飲み込んじゃう。ひどいと「自分みたいなもんがそんなこと言っちゃいかん」ぐらい思っちゃってる。

あるいは、ストイックすぎて「私みたいなもんがそんな『人として上手くやる』という方法で有名になるのはずるい、それでは偽物だ」という信念に基づく時もありますよね。

そんでね、やがて、自分を納得させるために「別に、リアクションなんてそもそもほしくない」って自分に言い聞かせて、いつしかほんとにそう思い込んじゃったりとか。

そこをですね、どうしても拾いたいんですよ。

でね、自分が属しているジャンル縛りだったら、ちょっとは安心して参加して「ねえ、私のも、見て見て」って言えるんじゃないか、って思ったのですよ。

それで、ワケアリ展覧会(ちょっと生きづらさを抱えている人たち、という縛り)とか、シロップカバー(趣味が同じ人達の集まりという縛り)とか、そういう「縛りつきの集まり」っていうのを色々企画してみたんですけれど。

場、大事だと思うんですよ、やっぱり。
「その人はどうやったら輝けるか」っていうより、その人自体はできるだけそのまま素材を生かして、「どこなら輝けるか」という考え方もいいんじゃないかなって。
何をとっかかりにして羽ばたくのか、みたいな。
私ならもう完全にシロップですよ、シロップファンつながりで今があります。

こう、すでに成熟した大きい「場」に挑戦すると、たいがいスルーされるじゃないですか。そうすると「自分はその他大勢レベル」感がすごくて、なんかむなしくなっちゃうんですよね。

「どんな場でも一定の評価を得る」もすごいことだけども、「あるニッチな場において強烈な評価を得る」もすごくカッコいいことで、そして私はその「ニッチな場」っていうのを、いろいろ考えて行動して、つくってみたいなっていうのを、思ってるんです。

「あなたの作品、こういういいところあるんだから、忘れないでよね」的な。
忘れがちなんですよね。がんばって作っても実際はスルーされること多いですから、世の中。
だってね、見る側だって遠慮するじゃないですか、「毎回熱い感想送ったら重いかな……」とか。

サポート側、すごく、うん。そうですね、今そっちに興味が傾いていますね。
演者もやりたいけど、今はそれについては「ついでにちゃっかり自分のも」というスタイルでいいかな。あるいは例として。

私はもう、自分の身には余りあるほど、ほめてもらった。認めてもらった。
ので、今度はそのいただきものを、次の世代につなげなくては。

うん、そうですね、「ニッチな場」、私がやりたいの、これですね。

「そもそも評価対象にしてもらえない」をクリアする手段。
それは、「ニッチな場」をたくさんたくさん設けること。
あるひとつの見方だと箸にも棒にも引っかからんものが、誰かの宝物になったり、する。

だいば〜〜〜〜〜〜〜〜してぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。