時間が平等だとはどうも思えない話

私は、時間の感覚にすこし疎いところがあります。

遅刻はしません。
遅刻は無礼だからです。
それを心に刻みすぎて、気負った結果あまりにも早く着きすぎることが多いです。

なにかに夢中になると時間の平衡感覚を失ってしまうので、待ち合わせなどの前はなにかに夢中にならないように気をつけております。

さて、タイトルの通り、私は「時間は皆に平等に与えられている」という言葉に対して、懐疑的な気持ちでいます。

あれはうそだと思っているということです。

今、2019年12月11日。
現在の時刻は22時13分です。
これはおそらく、日本全国どこもそうだと思います。いや、場所によって微妙に違うのかな? あんまり詳しくは存じませんが。

そういうことを言っているのではありません。
体感の話です。

人それぞれに与えられた時間の感覚は、人それぞれによって違うと思うのです。

時計の時間は、あれはあくまでも太陽とかの動きに基づくひとつの目盛りでしかないと思うんです。
だって、あの「1秒」と定義されている時間のながれは、人により、あるいは状況により、体感としてはどう考えても変わっていますよね。

ナショジオの記事を見るがよいです。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021300003/

上記URLの記事は時間の体感についての記事です。
おもしろい錯覚など載ってまして、なかなかおもしろい。

ですが、しかしながら。
つまらないことをしているとき、不服な思いをしている時、どう考えても時間は長い。
楽しいことをして夢中になっているときの時間は悲しくなっちゃうくらい短い。
これを、私は気のせいとか錯覚とかだと思っておりません。

楽しいことに精力的に夢中になっている人って、若々しくないですか。
童顔とか顔のつくりのことではなく。表情が明るい、とかでもなく。
なんか、実際に、年取ってないんだというような気がするんです。

楽しいことに夢中になっていると、時間が短いから。夢中になっている間に太陽が何回登ろうが、自分自身の中の時間が少ししか経っていないから、年取ってないんだと思う。

カレンダーや時計をみて、「えっもうそんなに経ったの?」って思うわけじゃないですか。本人は年取ってない。目盛りとしての時間だけが過ぎてる。

ぜっっったい、時間は平等などではないと思うんですよねえ。
だって、実際、時間って動くじゃないですか。
伸びたり縮んだりしてるもん。ぜったい。

科学とか物理とかじゃなくてね、ぜったい伸びたり縮んだりしてますって。
どう考えても。

「そこが不変ということにしとかんと収集つかんなるから、とりあえず、そこは不変ということにしときましょうよ」とは違うの?

だって絶対不変じゃないもん。
今まだ21時位じゃないとおかしいですもん。
なんでもう寝る時間なんですか?

時間は不平等だ!