興味の幅がいまいち広くない話

私は、興味があまり多岐に及んでいません。
なんなら、「興味のあることはひとつだけ」といい切れてしまうかもしれません。

私が興味を持つのは、おおよそですが「自分が何かを作る・アレンジする・発信する」という要素のある事柄ばかりです。

一方で、「ただ受信し、享受する」に終始するようなものに対しては、あまり強い興味を持つことができません。

たとえば私はsyrup16gというバンドが大好きですが、これを「聴く」だけで終わらせることができません。
耳コピをしたり、カヴァーをしたり、ファンアートを描いたりします。
おまけに、それらを公開したりします。

私があまり興味ないのが、「テレビ試聴」。
これは子供の時はよく観ていたのですが、大きくなるにつれてどんどん観なくなってゆきました。
好きな番組もありまして、Eテレの0655と2355が好きでこれは毎日録画して観ているのですが、その他は「めし時に夫の付き合いで観る」という観方しか最近はしません。
テレビは基本的には「受信」であり、また、なんかこう、感情がゆさぶられてしんどい感じがするので、自発的にはあまり観ません。一人暮らしの時はテレビなかったです。

ファッション。メイキャップ。これも興味がありません。
ただ、先程の物言いと矛盾するようですが、これについては受信することについてのみ、興味を持ちます。

なぜ興味がないかと言うと、「私という人間は、外見的な部分を流行に似合わせて強化しても意味をなさない」と思っているからです。
私は、着飾れば着飾るほど、「映えない」のです。着飾るごとに、どんどんどうでもいい生き物になっていくのが自分でわかります。
むしろ「ファッションにもメイキャップにも興味を持たない無頼漢」というファッションスタイルが私には合っている、と考えております。
自分にあうスタイルを取っているにすぎません。
私の元来持つキャラクタがルキズム特化型であれば(もっと砕けて言えば、「元の顔がより美しく」「性格的に道化タイプでなければ」)、より美しく着飾ろうとしていたと思うけれども、その点を強化するのでは自身として最もよい輝きが得られないことを自覚しているのです。

「着飾らない」というファッションを選択している。それだけのことです。
つまり芸術・自己表現としてのファッションには、興味を持っています。
だから、見るのは好きなのです。

本。これも私があまり興味を示さない媒体です。
ただし、物語のかたちを取っている、いわゆる創作物については興味はあります。
ただ単に、感情をゆさぶられやすい性分のために、あまりガッツリあれやこれやたくさん読めないという部分でブレーキが掛かっているのです。興味はものすごくあります。

私が興味ないのは、自己啓発本や、生き方指南みたいな本です。
あれには全く興味がありません。
「ネットにみんなの忌憚なき意見いっぱい浮かんでるのだから、それいろいろ見て自分の考えをアレンジしていって、確立して、バランスとれば、それでもうええやん、わざわざ本とか買わんでも」と思っています。
その人の意見だけ書いてある本一冊分、カネだして買って読みきるほどの魅力を感じる人物が、正直、いない。
それだったら漫画や小説、音楽など創作物にお金を出すほうがいい。と考えます。

「つくる」「自分流にアレンジする」という要素が入ってあるものだと、だいたい興味を持ちますね。
というより「思いついたらやらないと気がすまない」というところです。
だから、「思いつく→やる」という要素がない、「聴くだけ」「読むだけ」「教わるだけ」でその先がないようなものには興味が持てないことが多いです。
ひとつの答えに向かって、人と同じ理解をすることを強要されるのも嫌いですし、人と同じように生きることを強要されるのも、逆に人と違う生き方を強要されるのも、等しく嫌いです。なんで他人が軸なのでしょう。人と同じでもいいし違ってもいいと思うのですが。

そんなだから、「やってみたい! 思いついてしまった! やる!」が先行しちゃって、創作関係でも吸収より発信が多くなっちゃって、ちょっと恥ずかしいですねえ、受信のほうの知識量がイマイチで。
それも今はたいしたコンプレックスでもないですけど。

何がいいたかったのか忘れました。
とりあえずですね、お腹がすきましたのでね、私は、めしをくいます。
アディオス。