イベントを主催するということが少しわかって勉強になった話

半年ぐらいウキウキとあたためてきた、4月11日に開催予定であったsyrup16gのカバーオンリー・オープンマイクイベントを、延期とする決断をいたしました。

伝達事項は@kinoco85のアカウントに書いてありますので、ご確認下さい。
このエントリーは、ご連絡じゃなくて、もう、ただの、ぼやきというかなんというか、あんまり読む価値ないかも。

ずっと、「延期にしたほうがよい」というのは内心わかっておりました。
しかし、自分の中にある甘えや危機管理能力の低さから、決断を先延ばしにしておりました。
開催できる可能性が少しでもあるなら、それを掴みたい思いがございました。
「ごく小規模だし、何百人もあつまるわけでもないし、なんとかなるんじゃないか」と理由付けをして、自分の中にある「やめとくのが無難でしょうよ」という気持ちから、なんとか逃げおおせることができるんではないかと考えている自分がいたことを告白します。

それは普通に生活する分にはある程度許される(そういう人もいるよねぇ、程度の)感覚であるけれども、「イベントの主催」という立場においては、それがたとえ趣味のあつまりの範疇であろうとも、きびしく批判されなくてはなりません。

これに気づくのが有名人の訃報が出てからというのが、もう、仮にもイベントの主催者としては心より恥ずべきことであり、たぶん誰もそんな怒りゃしないけれども自分で自分が許せない、そういう感情でおります。
志村さんは私がそれを思い知るために亡くなったのではないのですから。

でも、「今やめないといけない」と思いました。
Twitterを開くと「有名人が亡くなってから急に自粛しだしてどうすんの?」という意見が飛び交います。
仰るとおりです。
でも、じゃあ意地張ってこのまま開催すればよかったか。
それも違います。絶対に違います。
今、私にできることは一つです。
自身の能力を恥じて、今できることの中で最善と思われることを、恥ずかしい思いをしながらでも、やるしかありません。

「たかが好きなバンドのカバーイベントで……」とお思いかもしれません。
でも、私は初めて主催する大きめのイベントで、色んな人を巻き込んでこれを練ってきました。
たぶんもう交通のチケットをとってらした方もいらっしゃると思います、また、はじめて人前で演奏することにドキドキしながら、エイと思い切ってメールをお送りくださった方もおられたと思います。
正直、かかるお金はもはやどうでもよかった。
「楽しみにしてくれてる人」を裏切るような、つよい判断が、できなかったのです。

でも、それがイベントを主催することだとすごく思いました。
偏りのない情報をめいっぱい仕入れて早めの予測をして、それが間違った判断だと怒られるかもしれない・色んな人を泣かせるかもしれないことを覚悟して、それでも決断しなくてはならないのがイベントの主催者であると、そういうことはそこまで頻繁に起こらないけれども、それは必要なんだと、すごく思いました。

プロでやってらっしゃる方は、その上、弱音も吐けません。
「いろいろある」から、ただ事実を述べて、あとほんの少しだけ、無難な程度に感情を吐露することしか、たぶん事実上できないのだろうと想像します。

私は、あんまり捨てるものが多くないほうなので、少しだけ言います。

簡単に、「自粛しない人」を叩くのは、どうなんだろうか。

外野が、あーだこーだワーワー言うのも、どうだろう。

だってね、
あるイベントが、あるいはある外出が、「今後もたくさんチャンスがあるうちのひとつ」なのか。
それとも「一生に一度の思いをかけた本当に唯一無二のもの」なのか。
そんなの、本人にしかわかんないじゃないですか。

長期間積み上げてきたもの、それも、自分だけ泣けばすむんじゃなくてたくさんの人を巻き込んでしまうような決断がどれだけ重いか。
こんな状況になるなんて予測してイベント組まないですって、正直。

悔しいですよ。そんなもん。みんなとケラケラ笑って、かわりばんこで、シロップカバーしたかった。
はじめて人前で歌って緊張してる人に、その演奏に、全力で拍手送って、自信あげたかった。
いっぱいお酒飲んで、みんなへんなTシャツ着てきて、自慢の楽器とか持ち寄ってさあ。
突然のセッションとかさあ。
「まさかのご本人登場!?」まで考えましたよ。バカだから。
やりたかったですよ。すっごいやりたかった。
当たり前でしょう。
めちゃくちゃ、いろいろ考えてた。みんなを笑わせたかった。
私人間ですもん。くやしいし、申し訳なくて。

私はね、感情派であることがたとえこういうときに不利だとしても、誰かにバカにされたとしても、こういうときに全力でくやしがって全力で土下座して、家で一人で夫に怪しまれながらオイオイ泣きたいんですよ。

なんもわかってないくせに何わかった風に「著名人が死なないとわかんねえのか」とか抜かしてんのよ。
他人のことはなんもわかんない前提でもの言えよ。
みんなものすごい量の思いを抱えて生きてるんですよ。
「あなたには先見の明がありますね、素晴らしいです」と言われたら満足なのかよ。
みんな人間でみんないろんな感情あるの。

わからないということをわかれよ!!!!!!!!

でもね、人のあたたかさにも、めちゃめちゃ触れました。
クラブマーキュリーさんに連絡したら返ってきた返信、泣きましたね、丸一日借りたら人一人が一ヶ月生活できるくらいのレンタル料かかるのに、「とりあえずいらないから、みんなで乗り切りましょう」とか、普通言えます?
誰も怒んないんですよ。私のこと。

もう17時位から永久(とわ)にズビズビ泣いてますね。いろんな感情で。

感情「だけ」で動かないのは大事だけれども、感情ありきで動いて、何が悪いの?
人間って感情じゃないですか。

現象は、受け手の感情や感性があって、初めて「芸術」になるのに。

絶対に、振替、やるからね。
ぜったい。
待っててくださいね。