創作、そのまま、ローファイであること

私は、わりとローファイなものが好きです。

ウィキペディアによると、「ローファイ(LO-Fi)」とは、

音楽のレコーディングの際の録音状態、録音技巧の一つで、極端に高音質なものではない録音環境を志向する価値観。転じて、そうした要素を持った音楽自体を表す言葉。対義語はHi-Fi。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/Lo-Fi

とのことです。

私はこの「ローファイ」というのを、音楽に限らず、芸術全般・もっと言えば生き様そのものがローファイであることに、魅力を感じます。

ただ、私の言っているローファイというのは、「あえて汚す」「ザリザリにする」など、作風に対してそう呼ぶものではありません。

「そのまんま見せる」というほうがニュアンスが近いです。
だから、正確に言うとローファイとは違うんじゃないかと思います。
「ローファイであること」というより、「ローファイでも居られる、ローファイな自分も見せられる」が近い。

「ローファイなものを目指して作る」のではなく。
出たものをそのまんまにした結果、それが高品質ではないとしても、それを小綺麗に修正するのではなくそれ自体を魅力の一つとして見せる。
という考え方です。

ですから、「きれいで高品質なローファイ」も私の中では存在します。
その人のつくるものがナチュラルボーンきれいで高品質な場合ですね。

何度か書いたことがあるのですが、私が見たいのはあなたがどんなすごいことをできるか・どんな技術や知識を駆使しているのか、ではないんです。
私は、あなたを見たいのです。
あなたが何を美しいと思い、何を愛し、何に感動し、何を苦しみ、どんな思いで生きているか、それを作品という形にして出したときに一体どんな様相を呈するのか。

そこに、技術であったり知識であったり品質であったり、というのは、おまけ程度にしかついてこない。
それは表現をみんなに伝わりやすくするための、非常に有用な手段の一つであって、あったほうがいいのですが、必ずしもそれを備えている必要はないと考えます。

私は、「芸術とはイコール人間である」、と考えています。
というのも、ただつくっただけでは、それは物理的な現象でしかない。
その物理的な現象を、誰か(つくった本人を含む)が見て、何かを感じた時にはじめて、「芸術」になると思うのです。

私は、きれいなものをつくれません。
だからローファイを肯定して自分を納得させているんだろう、と言われれば、そうです。ローファイという概念が存在している事実は私を安心させました。

けれども、「それは逃げだ」と言われたら、それについては了承できません。

「私はきれいなものをつくれない」
これは紛れもない事実です。
きれいなものをつくれるように努力をしてみたこともあるのですが、きれいになりません。
また、少しきれいに作れても、なんだか自分から出たものではないようで、納得がいきませんでした。

じゃあ、一般的にきれいとされているものを作れるようになるまで、隠れて生きなければならないのでしょうか。
私はそれは違うと思います。

私は未熟だと思いますし、あまり器用でありません。
ですが、それは技術的、すなわち表面上の話です。

私は、自分が内包している性質(自分自身の本質)に対して、卑屈で不安になることも疑念を抱くこともたくさんありますが、その一方で、やはりどこか自信を持っている部分があるのだと思います。

だから私は、未熟な状態だと認識していても、作品を出すことが出来るんです。
自分の実力以上に認められるようなことは望んでいません。でも、「こちら、現在の私になります」と、見せることが出来ます。
見える人には見える本質的な部分を、誰か一人くらいはきっとわかってくれると、ある程度の希望を持つことが出来ます。
ちょっと前まで出来ませんでした。でも出来るようになりました。

いまは、私は、それを自分の長所だと思っています。
卑下も過信もせず、ちょうど自分の背丈の目線からものを見れていると思います。

「私は、高品質ではないですが、好きな人は好きだろうなという作品を作れていると思います。私は非常に好きです。」

現在の私は、これを、堂々・毅然とした態度で申し上げることが出来ます。

現実的な部分として、「一回有名になって市民権を得てしまわないと、チャレンジングなことが認知してもらえない」という側面はあると思います。
ですから、器用な人あるいはぶっ飛びきった人withマネージャー、が生き残りやすいという部分はあると思います。

が、人に認められるという状態自体が、ネットの台頭によってかなり多岐にわたってきました。
「大多数に認められ、人気を誇る」いわゆるスターになるという必要性そのものが、もう、ないんじゃないかと私は思うんですよ。
従来の「有名」は、デメリットのほうが多いのかもしれない。

変に有名になって、自分のやることなすことぜーんぶ肯定されちゃうのも、しんどいですしね。

めちゃくちゃちっちゃいコミューンが大量にできるっていうのが普通になってほしいかなー、というのがあります。

まじめなことを5分以上考えたので、きのこは死んでしまいました。

あーあ。

ばいばーい。