空気を読んでおとなしくするのはもういやだという話

このあいだ書いた、お化粧品用のオーガナイザーが、届きました。

アクリルガッシュの容量を、最初に買ったスクールセットは11mlなのですがそれ以外に買い足した色はだいたい20mlで揃えてありまして、そのサイズがぴったりと入って、具合がよいです。

まだ容量に余裕がありますから、色をもう少し、買い足せますねえ。
これまで使っていた100均の引き出しも、空いておりますからねえ。

やったね!!!!

色をいっぱい並べるのは、とても楽しくゆかいで、幸せな気分になりますね。
少し前までだったら、そんなのは目にうるさくてしょうがないと感じていたと思うのですが、いや、しつこいようですが、実に元気になったものです。
お医者先生いわく、「こりゃ、いい循環に入ったね」ということですけれども。

最近ね、調子のよいときは、絵を描きながら、ラジオが聴けるようになったんですよ。
しかも、インスト音楽とかではなくて、人が喋っているやつです。

聴けると言っても、内容まで認識しているかというとそうではなくて、記憶にまで残る部分はごく断片的かつ少量なんですけれど、作業中に音が耳に入ってきた場合に頭がいっぱいになって「あ゛ーーーーーーー!!!!」ってなる感覚はすごく少なくなりました。

感覚の過敏は、余裕のないときにひどくなるらしいですから、たぶん今の私にはある程度の余裕があるのではないかなと想像します。

いまの、若干の余裕のある私には、余裕のなかった私みたいにしんどい思いをしている人たちに何ができるんだろうなぁと日々想像します。
押し付けがましくないような、そして逆に気を遣わせてしまわないような、親切だけじゃなくて相手の負担にならない方法でこちらにもある程度の得があるような、いわゆるWin-Winっていうんですか、そういうことが出来たらいいなと思っています。

小さなことをちょびちょび試しながら、何をしていったらいいか模索しているところです。

私はどっちゃかというと熱っぽいタイプに分類されるほうだと思うので、小さい頃から、その熱量を笑われることが多かったんですね。
たとえば、小学校の教室で、国語の時間。
本気で、情感たっぷりに朗々と教科書を読み上げる子を、周りの空気に流されて嘲笑した経験がある方もいらっしゃると思います。

また中学校の教室で、英語の時間。
ネイティブ顔負けのよい発音で読み上げる子も、これまたイジりの対象となっていたクラスは多いんじゃないでしょうか。

おとなになった今も、いろいろなチャレンジをしてみている人を、「恥ずかしい」「躁状態」などと嘲笑の意図で揶揄する人もいらっしゃいます。
マインドが教室の中のままでらっしゃる人が、悲しいですが、たくさんいるんですよねえ。

ただし私も、「自分の目標を目指すんじゃなくて『意識高い系に見られること』を目指してて、なんか外側だけ自己啓発でかためた人」はあんまり好きじゃないですけどね。
目標持って頑張ってる人と、上記のような人とは、ちょっと違うと思っています。

私はいま、教室でみんなに笑われることは社会的な死であると思い込んで引っ込めてしまったいろんなものを、ひっぱりだしてるところです。
私が「かっこいい」と思う人は、みんな、誰に笑われても自分の感性を引っ込められなかった人たちばかりです。
私は、引っ込めてしまった自分を恥ずかしく思います。だから治します。

幸い、笑う人はあんまりいません。むしろ、おとなになってくると如何にはっちゃけられるかが勝負ですらあります。

まれに笑う人がいたとしても、それらはほぼ100%、取るに足らない意見ばかりです。

私は今後も描きますし、歌いますし、自称と言われてもアーティストであろうとしますし、へんな卑下をしないように努力するし、可能な限り調子に乗ります。

周りを恐れないで調子に乗れるパワーがいると思うし。
あと、いいものをつくるけどそこまでガッツない……という人もいると思うので、そういう人が何も恐れずに調子に乗っていけるような、応援、他薦、みたいな活動とか出来たらいいなと思います。

いや、わたしも、描くけどね!!
私は私で、ちゃっかり、認められようとしてますけどね!

どんよくですよ。

おやすみなさい。