人生は 実験だ

私はこれまで、わりと向こう見ずな人生を送ってきました。
そしてこれからも、わりと向こう見ずな人生を送るでしょう。

向こう見ずというよりも、「興味が湧いたらとりあえずやってみる」を何にでも適用してしまうところがあるのです。

それでも、私のなかにルールはあります。

・基本は無料でできることしかしない、出せても300円/月
・道具は最初は100均、もしくは自作する(どうしてもほしくなってから買い足す)
・生活基盤は変えない(俺はバンドで食っていくとか言わない)
・わるいことはしない
・賭け事はしない(そういうタイプの運が皆無のため)

その範囲内で、工夫をしていろんなことをしています。

私の場合、やったことが結果的にしっぱいだったとしても、あまり問題ありません。
上記ルールがあるので失敗しても損が少ないですし、タイトルのとおり「人生は実験だ」と思っているので、「なぜしっぱいになったか」が次の階段になり、むしろ楽しいです。

息の長い実験として、私は、「みんなが『やらなきゃいけないこと』だと思っていることのうち、やりたくないことを可能な限りすべて排除して、なるべく楽しいことだけをして生きた場合、どうなるんだろう」という実験をしながら暮らしています。

私が死ぬときに、誰かに「これは大失敗の人生だ」と言われても、私は楽しいことをして生きたわけですから、成功しても失敗してもどっちでもいいというわけです。

この場合の成功っていうのは、一般的に言われるタイプの、お金持ちになったり、有名になったり、一事業を波に乗せたり、とかそういうのを指していますよ。

私、賭け事とか抽選とかにまつわる運は皆無で、本当にsyrup16gのチケット以外全く当たらないんですけれど、「さんざんな感じなんだけれども、最後の最後でなんかこう、ささやかに恵まれて、そこそこいい感じにおさまる」っていう運は持っている方なんですよね。
人生をおびやかしそうな大事件とかたまに起きるんですけれど、なんかしらんけど、最悪の事態はまぬがれるんですよ。

まだ実験は途中ですから、もしかしたらこの先ひどい大どんでん返しに遭うという可能性もあるっちゃあるんでしょうけど、まあ、また「ぎりぎりのところで最悪の事態はまぬがれる」みたいな運を期待します。

人生一回こっきりなんで、みんなが失敗したくないのも恥かきたくないのも慎重になるのもわかるんですけど、失敗がぜんぜん痛手にならない挑戦の仕方っていっぱいあると思うから、ほんとう、あっと思ったらなんでもやってみたらいいと思うなあ。
結果的に三日坊主であっても別に悪いこっちゃないですし。

それをみて嗤う人って、結局、失敗をみられるのが怖くて尻込みして、それを正当化するために挑戦する人を嗤うダサい人でしかないじゃないですか。
そんなやつに合わせてひっこんでる必要って、あります?

私の実験台になってくれるのは私だけなので、へたくそでからかわれても、やりたいようにやるよ〜。

いえ〜い。

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