つくる人同士の互助のこと

つくる人同士で認め合いみたいなことをするのを、「内輪ノリ」とか「馴れ合い」と言って嫌う年齢層って、あるじゃないですか。年齢だけの問題ではないですけど。

でも私の考えとしては、「つくる人同士の互助、どんどんやるべき」だと思うんですね。

昔ってネットがなかったですから、自分のつくったものを広く認めてもらおうと思ったら、有名になるしか手段がなかったんじゃないかな。
だから、「プロを目指す=競争↔小規模な仲間内で見せ合う=馴れ合い」みたいな図式になっていったんではないだろうか。

なんか「喧々諤々のライバル争いこそ正義、『俺が俺が』でいかなきゃどうする」みたいな空気もあったりして。
そんな、暴走族の抗争じゃあるまいし。なんでそんなチンピラみたいなことせなあかんねんという。こちとらインドア派なんですよ。

そもそもですね、「つくる人」と「鑑賞する人」って、まったくの対極にあるものではないじゃないですか。
つくる人は当然、同時に鑑賞者でもありましょうし、そうでない人とて、けっこう多くの人が「鑑賞が主だけれども、ちょっとだけ作ったりしてるときもあるよ、そんなプロとかと比べられたら困るけど……」みたいな感じじゃないんだろうか。

そんでですね、「自分が多少つくる人間だからこそ沸く興味」って、あるじゃないですか。
「ッハー! ここ、こないなっとるんか! ほほー、そういうやり方あんのね!!! メモメモ!!!!」みたいな。

そしてね、「有名になりたい」が目的なのであれば話は別になってくるんだけれども、私の周りで作品のアップなどなさっている方々はわりと「自分はこんなあかんたれなんだけれども、それでも存外悪くはないものを作っているということに、誰かが気づいてくれたら。誰かに響いてくれたらいいのになー。」という感情でもって創作物をアップロードなさってたりする方が多いんですよね。

そりゃあ、「一回ぐらいはスポットライト浴びて拍手喝采でも受けてみたい!」みたいなの多少あるとしても、それって「体験してみたい」であって、「そういう大注目される人間になりたい」とは微妙〜〜〜に違うような気がするんですよ。

ってなってきた場合に、「お客さまを相手にする前に、つくる人同士で互助的に認め合うことによって、まず自信や自己肯定の土台をお互いに固める」というのはひとつ、つくる人々の全体的な品質向上に有用なのではないのかと。

うーんだんだん自分が何言ってるのかわからなくなってきた。

あと、もうひとつ考えていることがありましてですね。
なんかつくる人って、ちょっと生きづらい人の割合が多いじゃないですか。

調子がよいときは、アルバイトなどで生計を立てたりしますでしょ。

でね、「調子が悪くてうまく働けないときの保険としての創作活動」って、どうかなと。

つくる人は、調子がよいときに、BOOTHとかに店を構えておいて、商品を量産しとくんですよ。
このときに売れなくてもいいの。これは種まき。

で、調子が悪くなったとき、一般就労ってキツくなってくるじゃないですか。
そこで、つくるひとコミュニティの中の、比較的調子がいい人が、調子悪くて生活があやうい人の作った商品を積極的に買う。
で、あやうかった人が調子良くなったら、こんどはその人が、調子悪くなった人の商品を積極的に買う。
っていうゆるいサイクルをつくって、つくる人同士で生活を成り立たせ合うっていうスタイル。

昭和の、ご近所同士でおしょうゆとか野菜とか融通し合うスタイルを、ネット上でよりスマートにやるみたいなイメージ。
ご近所さんだと、軋轢とかが起きてもなかなか引っ越しってわけにいかないですけど、ネット上だと棲み分けもかんたん。

これあんまり深く考えないで言っているので、アラはめっちゃあると思うんですけど。
でもなにか作れることって非常に立派なスキルであるから、生きるためにうまく使っていったらいいと思うんですよね。

プロになってシビアに……というのではない、でも生活のための、創作。
どうかなー。やれる土台は整ってるとおもうんですよ。あとは人。

どうなんやろな。

本当に何も考えずに言ってます。

適当です。

しらんけど。

また。