芸術に絶対的な価値軸が本当にあるなら、批評はAIに任せたらいいということにならん? という話

私は、絵や音楽などの各種芸術において「将来、その仕事をAIに取って代わられる」という事態を危惧したほうがいいのは、創作をする側の人間ではなくて、「批評家」ではないかと思ってるんです。

私は、芸術作品の価値について、「特定の指標(たとえば技術、知識量など)においてはレベルの高低は確かに存在するが、作品を全体的に「善し」「悪し」と語ろうとする場合は、それは好き・嫌い、あるいはその多数決でしかない」と思っているのです。

この考えは、批評を好む人からはやんわりと否定されることがたまにあります。
「よい作品」「悪い作品」というのは、なんやかんやいうて、ある。と。

でも私が思うに、やっぱりそれはね、人間たるもの絶対に主観が入るので、完全に客観的なジャッジは不可能。
作品そのものの「良し」「悪し」の軸は事実上、やっぱり、ない。
いろんな要素と、あと好き嫌い。それだけだと思う。

だって、本当に「よい作品」「悪い作品」という客観的な指標が存在するなら、この時代、もうAIで判断可能だと思うんです。

だってね、たとえばyoutubeなんかでも、「これが好きなあなたは多分これも好き」って、結構ビンゴなやつ出してくるじゃないですか。(あれをAIと呼ぶのかどうかは知らんのですけど。「機械」ぐらいのニュアンスで理解してください。)

あれはもちろん、作品内容だけじゃなくていろんな要素をはらんで表示させてあるとは思うんですけど。
普通に利用しているネット上でもそれが可能となると、たとえばAIに「いい作品とはこれこれこうで〜〜〜」っていっぱい教え込んだら、たぶん、批評マシーンはつくることはできるんじゃないんですかね。

好き嫌いを除外して客観的な「いい」「悪い」で判断する。それが批評なわけですよね?
でもね、それって、それこそ、AIの得意分野では?

つまり、もう、時代は批評家の存在を必要としていない。という日が来てしまう可能性がある。
そのように考えます。

でもたぶん、そうじゃないですよね。そんな日は来ないと思います。
AIにはわからない部分が、あるわけじゃないですか。
それって、客観的に見た良し悪しではなく、主観でしか感じられないものだと思うんですよ。
それはAIには無いもので、かつ、ひとそれぞれ違うものであると考えます。
それを「好き嫌い」と私は呼んでいます。

「いいもの」「悪いもの」ということでしか語れない批評なら、この時代、もういらない。感情論じゃなくて、現実的に、多分いらなくなる。
AIが点数はじき出す。客観性なんて、AIで十分。「あなた」じゃなくていいんですよね。だってあなたの主観が混じったものよりAIの純粋な客観のほうが正確だから。

そうじゃなくて、
「自分の主観であることを前提に、感じたことを、人間としていかに美しく豊かに伝えられるか」
このあたりってすごく重要になってきませんかね。これから。

読む人に、
「この作品を通してあなたが何を感じたのか、そしてそれをどう文章表現するのかが、読みたいのよね」
って思ってもらえる批評家になる必要性が出てきませんか。

だってね、人間は、どうしたって主観的なんですよ。
点数なんて、それこそ機械がつけるもんでしょ。
人間なら、点数じゃないところを見て具体的に表現する能力つけなきゃ、それこそAIの天下っしょ。

などと、思うわい。

やっぱ主観の時代ですって。

知らんけど。