作品発信と、私生活・私見などの発信のバランスに悩む話

このエントリーは、異論あってしかるべきな、あくまでも個人的にはこっち派だなー程度の話なんですけれどもね。

私は個人的に、SNSなどにおいて「この人作品すてきだな」と思った人の私生活こぼれ話みたいなのも、発信してくれるなら読みたいタイプなんですよ。

私はやっぱりどうしても、作品と作者を分けて考えることがむずかしくて。
どちらかというと、「作品と作者はなんやかんやいうてシームレスである」「よい作品とは、いかにその作品がその人そのものであるかだ」と感じがちなんですね。

これはたぶん、私の好みが「技術や品質の如何ではなく、より内省的な、脳内を切り取ったような作品」であることと、私が創作物と出会う場がだいたいSNS上であることが多いからではないかな。と考えています。
美術展とか、ブッキングライブとか、雑誌とか、そういった従来のオフラインでの受発信に積極的な人や、あくまでも作品のクオリティを追い求めるタイプの人はたぶんまた違う考え方になってくるんだと思うんですけども。

現在って、SNSなどで自力で作品発信していくじゃないですか。ひとにプロモーションしてもらえる人ばかりじゃないから。

ネットがべんりになって、個人でできることが増えたので、個人でもグイッと一歩出られるようになってきたという大きなメリットが生まれた一方で、「作品と人間性をほぼ同時に知られる」あるいは「人間性から先に知られる」みたいな順序になってきている気がするのです。

すると、どんだけいいもん作ってたって嫌な奴の作品わざわざ触んねえよ問題が発生してくるんですよね。
逆に「こんなすてきな人の作品、どんなんだろ? 見てみよー♪」も、私はありえます。

じゃあ誰にも嫌われないように作品だけをアップしていく、もしくは毒にも薬にもならん無難なことだけ書くようにするってのも、私としては少々ストレスなんですよね。
SNSなんて自分のためにやってるんですから、書きたいことをあんまり我慢するのもヘルシーじゃないと思うんです。

じゃあどうやったらいいか、と思ったんですけど、結局「無理や我慢をしないでもモラルを維持できるだけの人間性を時間をかけて磨く」になってくるんですよね。

で、私としては、現在時点ではとりあえず
「暗くていいし、うじうじしてていいし、ダメでいいし、いつもつらいつらい言ってていい。まったく問題ない。ダメなのは、他人いじめ」
という落としどころで、やってみています。
しっぱいが……ご迷惑おかけしまくりのしっぱいが、あまりにも多かったので……

がまんしないで無理もしないで、そんなに深く考えなくてもそこそこいい奴でいられるような、そういう感じで、ゆるく、ノリで、やっていきたいですね。

文章かくの、すきですからねえ。

だからこう、なんか、アレですよ。
一部で、2chみたいな感じで差別用語とかその場のノリで気楽に使ってるのたまに見るけど、有名になった後に掘り返されて叩かれるから、やめたほうがよいと思うな。

うん。もったいないと思う。たぶん。

よ。

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