買っちゃったもんねの話 ほか

また、my new gearしてしまいました。

画材屋さんで「なにこれ、きれい」と思っていたら店員さんが説明してくれて、「これはテンペラ絵の具とかつくる用のやつだけども、メディウム類や絵の具と混ぜてもおもしろいですよ」と教えてくれました。

私は本当に無知なので、「えっそんな事も知らないの?」ということを知らなかったりするのですが、このピグメントというものは、はじめましてでございました。
こまけえことはわかりませんが、とにかく「絵の具をつくる粉」だということで、買っちゃいました。

それから、光り物のガッシュ2種。

画材屋さんに行くと、持っていたお金がみぃんな、画材に変わってしまいます。
とても、ふしぎなことです。

それと、これはAmazonですけど、ついにイーゼルを買った。

F20号のカンヴァスも買いました。
大きい絵、描くんだい。

絵を描いたり、歌を歌ったりして遊んでいると、たいへん楽しく感じます。

私はどちらかというとへたで、でも「とんでもなくへた」とかでもなく中途半端にへたで、つまり「へたであることがおもしろい、とかですらなく、ふつうにへた」という立ち位置なのですが、描くのはなにしろおもしろい。

苦労したり苦しむことを礼賛するような空気は、好きじゃないですね。
ブラック企業みたいじゃないですか。
ものつくるのって、もっと豊かなことだと思いますしね。

「苦しむ」と「がんばる」は、違うんですよ。
「ラクをする」と「楽しい」も、違います。

がんばると、たいへん疲れますけれども、心地よくゆたかな気持ちになり、楽しいです。そして夜、ヘトヘトになって、「きょうもずいぶんがんばったなあ」と思い、気づいたらずっしりと眠って、太陽の昇った頃に目がさめます。

でも、「苦しむ」だと、そうはいきません。
たいへん疲れるのは一緒だけど、夜、がんがん、びいびいと頭が鳴って、ちっとも眠れません。
つらくて、これは無駄足だ、なんのために生きているんだろうと感じて、もうやめたくなります。

ただ単に無駄に苦しんだだけのことを、がんばったかのように言って、そうであるべきだと決めつけて、おまけにほかの人にそれを押し付けては、いけません。

ですから、私は「楽しいのがいいのだ」というのです。

「楽しい」というのは、おもしろくもないのにヘラヘラしたり、みんなで馬鹿のように騒いだり、何を見ても何も考えずにげらげらと下品に笑って過ごすことではありません。

「楽しい」とは、前に進む力のことです。
自分にいちばんちょうどいい生き方を選ぶ勇気のことです。

苦しむのは、努力ではありません。

だから私は、誰に小馬鹿にされても、つくるのです。
私にとって、それが楽しいことですから。

私はこれについて、いっさい、まったく、間違っていると思いません。誰に何を言われても。どんなに諭されても、私が間違いを認めることはありません。認めるも何も、ここになんら間違いはないと、そのように強く思っています。

つくることは、ゆたかなことです。

ばい〜。