やりたいことを整頓しないと

自分の中の「やりたいこと」が、ぶわーとあふれています。

ちょっと整理整頓しないと、収集つかなくなっちゃいますね。

まずはですね、目下、12月19日の四ッ角マーケット(きのこの自転車行商、初マルシェ!)に向けて動きませんと。
商品はいっぱいありますし、必要なものはおおよそ買い揃えましたから、あとは商品のパッケージングやディスプレイを吟味する段ですね。

四ッ角マーケットに自転車で大量の荷物を運びたくて、でもサイクルトレーラーは高いから、なんとか買い物キャリーを安全に自転車につなごうと思いましてね、自動車用の牽引ベルト買ったんですよね。
だから、走行テストしませんと。走行テストと言っても、乗って走りゃしませんけど。牽いて歩きます。

また、活版印刷風のやつの版づくりがわりとうまくいきましたから、ここからグッと、本格的に名刺作りへとしゃれ込みたいところです。

ネット通販も再開しないと。
BOOTHなどは引き続きカゴ開けてあるんですが、Square支店を開けないとね。
アクリルキーホルダーがなかなかキュートに仕上がってますので、これを再販してまいりますよ。

現実的な、直近の自分のタスクはこのあたりですかね。

あとは、長期的かつ、まだ具体的ではない目標。

したいこと:「それぞれのセルフコントロール・セルフケア方法を模索できる場をつくること」。
ターゲット層:「とりこぼされたまんま大人になってしまった、すきまのひとびと」。
手段というか媒体?(媒介させるもの):「創作」「表現活動」を通す。

たとえば、下記で書いたこと。

これらは、私の中では、一本につながっているんですね。

私にわかるのは創作や表現活動のことだけであるから、手段として「表現活動」というのを使うことになるんだけれども、私がやりたいことは、いまのところひとつです。

「ひとびとが、自分をコントロールし乗りこなす方法を、落ち着いてゆっくりと考えられる、場所づくり」。

これって、人によって適した具体的方法論がことなるから、自分で考えて編みだすよりほか、ないんですよね。

でも実態、みんな、そんなこと考えてる暇も余裕もないんですよ。
それだけ、「生きていく」っていうことが一部の人にとってとてつもない負担になっているのが、現状ですよ。

自分自身の生命活動を、自分では死ぬほど苦しいつもりでも結局生きようとしてしまう本能を、ものすごく恨んだり恥じたりした経験が、私みたいな者にすらやっぱりありますし。
「ぶっ壊れることすら出来ない、でくのぼうのポンコツ」って思ってましたもの。

だからね、なんでしょうね。

こう、「創作なんて道楽であって、今にも死ぬかもしれないほど苦しんでる人に対してたかが表現活動なんかで何をしてやれるのさ」って思う部分もね、あるんです。
あるんですが、でも私自身、慢性的にずっと自分自身がいなくて苦しかった中で、自分の作ったものを見てもらえた・ほめてもらえた・認めてもらえた経験、これが本当に大きかったのも事実であって。

タイミングっていうところも大いにありますけどね。
私はずっと、誰にほめられても「本当にうれしいけど、でもこの人はきっと、私をほめる程度の人でしかないんだ、私はこの人大好きなのに、このひとは私みたいな下らないもんを、ほめるんだ」って、いつもかなしかった。

少しずつではありますけど自分への評価を受け入れられるようになったのは、私がどれだけそんな考え方しても、ひどいときにはオーバーフローして突然逃げて行方不明になっても、懲りずに探してほめにきてくれた人がね、いたからなんですよね、やっぱり。

私はそのやさしさをつなげていく義務があると思うし、いや義務って言うとなんか嫌々やってるみたいですけどそうではなくて、私は、私をひっぱり上げてくれた人々みたいな、すてきな人間になりたい。

ずっと、やさしくなりたかった。
自分のこと、「こんな冷たい人間はこの世に二人と存在しない」と思ってました。
やさしくなりたくてよく泣いたし、やさしくなれないので死のうと思ったことも多い。

いまでも、私は全然やさしくなくてですね、「なんでこんなに自分のことばっかりしか考えられないんだろう」って、もう、いやんなっちゃいます。
でも、まあ、それで喜んでくれてる方もいらっしゃるので、あんまり深く考えないようにしていますけど。

こういう、自分に甘めのジャッジができるようになったのも、本当に、人に恵まれた運なんすよねえ。
私、ろくすっぽ努力してないですもん。いや、ちょっとは努力しましたけど。うーん、いや、そこそこ努力しましたね。そこ、もう謙遜しないって決めてるんで。まあまあの努力はしました。はい。

でもやっぱりね、一人だと、さすがに無理だったかな。と思います。

だから、なんでしょうね、「私が助ける」とか「私が教える」とかは、私の器ではこれは不可能なんですけれども、「考える場所を提供する」とか「話し相手になる」ぐらいは、私にもできるから。だから、そうしようかなって。

そんなところですね。

今日もきれいごとですね。

部屋くっそ汚いくせに、言うことだけは小綺麗ですね。

めんどくせえやつですね。

シェアザライッ

また。