やっぱり、グレーゾーンという概念は「障害者」or「健常者」という考え方から生まれてる気がする。
「グレーゾーン」という表現は、スペクトラムを表現してるようで、実際にはしてないような気がする。
表現の問題じゃないんですけどね。
「社会が求めている障害者像」みたいなものがあって、それにそぐわない人は助けてもらえない。「いかにも『障害者』って感じじゃない人は、助けても助けた感がないし、ずるい感じがしてなんか嫌」みたいなことで、助けてもらえない。
制度上は助けてもらえることになってるけれども、助けを求めることを許されていない感覚。
だからこそ、私は「政治じゃなくて、『あなた』の考えが変わらないと、意味ない」っていうのをいつも言っていて。
今の政治が素晴らしいなんてイチミリも思わないけれども、でも制度はすでにある。権利もある。
だけど、なぜか支援が受けられない。なかなか受けようとさせてもらえない。
「不正は止めないといけない」
「全員助けてたらキリがない」
「不公平になるから」
本音はぜったい、違うと思う。
「こっちだって頑張ってるのに、楽して、ずるい」
がんばりすぎてしまった人々の、悪意・嫉妬に変わってしまった疲弊感が、地獄の絵みたいに無数に、人の足を掴んで引きずり込もうとする。
そして、医師でもなんでもない、ネットで知った程度の知識しかない人間が「誰が本物か」勝手にジャッジして、これまた足を引っ張る。
一部の医師も、今の社会の問題をわかってなくて無駄にシビアに診断したりして。「医師」って免許持ってるだけに、それが正義ということになっちゃって。
そのせいで、まじめで気の弱い人は特に「私なんかが支援を頼っちゃダメだ」と小さくなって、壊れるまで頑張ってしまう。
こんな状態ではね、どれだけ政治がよくなったって、お金の回りがよくなってみんながお金持ちになったって、いっさい無駄なんですよ。
自殺者は減りません。
「あなた」が全員、当事者意識を持って、認識を変えない限りは。
「お前だよそこのお前」。
本当に変わらなきゃいけない人は、そう言われても自分のことだとは思わない。
お金がないから人が死ぬんじゃない。
政治がダメだから人が死ぬんじゃない。
自分のルールを人にもあてはめて、そのルールを絶対の正義だと決めつけて、そぐわない人を許さない人間が多すぎるから、人が死ぬ。
まず、それをなくしてからの、政治です。
私はそう思う。
そんなかんじ。