ものを売るのがうまい人になりたくないジレンマの話

私はわりと、「ものを売るのがうまい」っていう属性に対して、何ていうんでしょうね、ちょっとしたゾワゾワ感があるんです。

と言っても、ゾワッとくるパターンとこないパターンがありまして、文章にするのが難しいんですけれど挑戦してみますね。

売る側の人の意識が「この人であればこの商品だな、そうすれば買ったあとにきっと『これを買って本当によかった』と思ってもらえる」までセットになってるなら、そのゾワゾワ感はないんです。

ところが、なんというかこう、「とにかく売る(買わせる)ことが目的」というスタンスになってくると、ゾワワッとくるんですねえ。

後者タイプの人って、相手のことを見てるようでいて、実際見てないんですね。
相手に対して興味を持ってないんですよ。

そういう人が見ているのは、相手の向こうにある自分の利益(お金に限らず。影響力のおすそ分け狙ってたりとか、すごそうに見せるためのにぎやかしとか)。

それを得るために、相手に興味を持っている、あるいは相手の話を聞いている「ふり」をしている。実際には「その他大勢のうち、ちょうどよい一名」としてしか人を見てない。

それがねえ、他人がやるのはその人の勝手なんだけど、私がやるってなると、とてもイヤなんですよ。やりたくない。

今般、自分でお商売を始めてみて、もともと自分が持っていた「それはやだな」という感覚がより強くなっているのを感じます。
自分がもの・ことを売るにあたって、後者のような意味での「ものを売るのがうまい」人には、絶対、なりたくない。

でも、人間のキャパシティは無限じゃない。特に私は、ワーキングメモリが人より少ない障害を持ってる。自分の健康を担保しつつ人さまに対しても真摯にやりたければ、どうしても、お相手できる人数はかぎられる。

それならばほんとは、商売としてちゃんとやる以上、そのぶん単価をじゅうぶんに上げないといけないんだけど。

それがねえ、感情論、イヤなんだよねえ…。

ワガママちんなきのこでございます。

ものづくりの人間によくある、「商売ヘタで、いいものを作れたらなんでも人にタダ同然であげちゃう」っていう不器用さに、若干の美学を感じてしまってるんですよね。
よくないんですよ、ほんとはね。

割り切れ、ないんですよねえ。なかなか。

いろいろ背負ってないなら、慈善事業でやっちゃうんですけど。
そういうわけにもいかないからね。

ちょっと数日、考え事から逃れて、ぬべーーっと絵でも描いてみようか。

器用に立ち回れる人間だったなら、なにも、絵や歌、アトリエじゃなくてよかったんだよ。
ふつうに働いてるほうがずっとずっとラクちん。

打ち破りたい壁があるね。

がんばろ。

PS.先日の糞野郎、サンリオさんに著作権上の問題を提起してみたけど、どうなることやら。

また。