ねじろのゆくえはいかに

私にしては、ずいぶんブログをサボりましたね。

ここ最近はそうですね。
毎月行っているよろず支援拠点の経営相談の先生がデザイナーさんでね、つてのある高校や大学の美術科などに話を入れてくれて、私からアプローチしやすくしてくださいましてですね、なんだか本当にもう、ありがたいことです。

刑務所のバイトも、具体的にやめる話をつけてきました。
7月いっぱいはたらいて、8月に有休あるだけ消化して、おしまい!
今はリモートのバイトをまた一つ探してきて、今度ZOOM面接です。

それから、ギャラリースペースを少し改善して、いま、こんなふうですよ。

あとはそうですね、ホルベインの不透明水彩を買いましてね!
これはとてもよかったので、ぜひ皆様にも使っていただきたいですね。
ポスターカラーの上位互換みたいに思っとくと近いのかな?

「人のつながりに感謝……*」みたいなこと連発するタイプ、これまでちょっと敬遠してたんですけど、まあそれはあんまり変わってないんですけどでもさすがにちょっと、私もここまでひとさまに恵まれると、さすがに感謝のひとつぐらいはしますよねやっぱりね。

私ねえ、アトリエがうまくいくにあたり、なんか「妙に前向きでキラッキラした感じ」とか「変な健康法みたいなのガッツリ信じる感じ」とか「目がロンッ<●><●>ってなってる感じ」に人が変わるのは、いやなんですね。
それをしないと成功しないなら、あんまり成功したくないかなあ。

「器用ではなくて、頭も良くなくて、人間関係の構築もへたくそで、バカ正直なわりにちょっとひねくれていて、でも、そのままでわりといける」というのを実際に体現してみせることが目的なわけですから、結局ロンッ<●><●>ってならないといけないなら、意味ないんですよね。

うまいこと立ち振る舞うことが求められるの、もうしんどいんです。

「デキる人っぽく見せる手段」とか、「不利なことは言わない」とか、「人にうまくすり寄る」とか、なんかねえ、もう、そういうの全部しゃらくせえ。
もっと、素直な人や、お人好しや、やさしい人や、まじめな人が得する世界がいい。虚勢を張れる奴が勝つ世界は、もううんざりなんですよ。

で、ねじろをやっていて、思うんですね。

あのね、なんっっっっっも見てないやつは、ほんとになんっっっっっっっっっっっっも見てない。「パッと見、すごそうかどうか」「自分にとってこの関係性が有利かどうか」でしか人を判断しない。
でも、事実として私なんぞと関わっても大した利益はないんだけれども、にもかかわらず見てくれてる人は見てくれているんですよね。
私にどんないいところがあるのかようわからんけれども、ずいぶん気に入ってくれる人が、ちょこちょことおられる。

さっきも書いたけど、さすがに、そうなってくると、いくら私でも、ありがたいと思いますよねそれは。
だからといって、額に入れた「ありがとう」の筆文字とか飾るのはヤなんですけど。なんかこう、「ザワッ…」ってなるじゃないですか。なんかこう、感謝の押し売りはしたくないわけです。
でも、そうはいっても、いくらなんでもこの状況は非常に私にとって、「ありがたい」以外の言葉が見つからない程度には、ありがたい話なわけですよ。

不器用で、物知らずで、悪手ばかりとって損ばかりしている状態で、それでもここまで人に恵まれるというのは、どうやら私はよっぽど運がいいんでしょうな。
どうにも申し訳ないような心地すらいたしますね。私にはもったいない。というと思い出されますのはsyrup16gのアルバムHELL-SEEに収録されている名曲「もったいない」ですねえ。

やっぱり、シロップファンだからだろうな。こんなに人に恵まれるのは。

syrup16gはいいぞ。

また。